Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

夢を語らうこと

昨日は、同年生3人で新春の宴。
「ガーデンパブ白樺」
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僕と同じ中学出身で2年前に一緒に同年会を発足させたB氏に、
僕と同じ高校出身で去年久しぶりに再開したS氏。

僕とB氏は中学つながり。
僕とS氏は高校つながり。
B氏とS氏は小学つながり。

思い出話は色々な時代を飛び、三人が全く同じ時間を共有したことはないのだけれど、とてもとても心地よい時間を過ごすことができた。みんなありがとう。
そして全員iPhone。さすが去年はスマフォ元年だったのだなあ、と改めて感慨深い。

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ところで、当白石市には永年引き継がれてきた伝統がある。
春祭りの主役たる神輿は、前年に不惑の後厄を終えた男達がまちの神社である神明社にお礼参りをする儀式だ。
そしてそれは、神明社の麓に位置する白石中学校の卒業生の仕事なのだ。

永年続いているこの行事も、年代によっては人が集まらず苦労していると聞く。
神輿はとても重く道も長いので、人は多いほど良い。
人が集まらない代は、仕方なく集まった人が出資して神輿担ぎのアルバイトを雇うのだ。
これがまた金がかかる。
親からこの苦労を聞いたB氏と僕が同年会を発足した理由に、43歳を目指して人のつながりを蓄えたいという気持ちが大きかったのは事実だ。
ともかく同年会を早めに組織しておくにこしたことはないのである。

ところが。

僕達の3つ上の代から状況は一変する。
白石中学校の学区は、まちを南北に貫く東北本線の線路で東西に分断され、東側は大鷹沢という市東側の集落と合併し白石東中学校が設立された。
つまり、白石中学校は新白石中となった西側と白石東中となった東側に、まるでベルリンのように分けられてしまったのだ。

さて、では我々はどうやってその神輿を遂行すべきなのか。
新白石中卒業生でやるのか。東中と白石中卒業生でやるのか。そのとき大鷹沢の人たちはどうするのか。
それは、聞く人によっても意見が食い違う、とても難しい問題だった。

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昨日の飲み会に招いたS氏は東中出身。僕とB氏は白石中出身。
実は内心、上の問題についてある方向性を決断するための宴でもあったのだ。

その方向性とは、東西に分断された中学校を一つにするということ。
まるでベルリンの壁のような線路を無視し、東西の同年会で協力し神輿を成功させるのだ。
これはおそらく、白石市にとっても特別な出来事になるんじゃないか、そんな風にも感じる、とても大変で、しかしやらなくてはいけない大切な仕事なのだ。

僕とB氏が考えていたとおり、さすがS氏はこの話をすぐさま理解。そして自らに問題意識を植え付けてくれた。
そして3人で話し合い、来年2012年の1月1日、その合同同年会の結束式を行うことを決定。
いざ、3月の第一回役員会に向けて3人が走り出した。

なんて話を、昔話も織り交ぜてかれこれ5時間。
夢を語らう時間の何と素晴らしいこと!これで1歳は若返ったと思う。

さて、今後どんな展開が待ち受けているか。
大変だと思うけれど、来年の元日を想像して、ついニンマリしてしまう。わくわく。
続報を待て!