Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

解き放てココロ

いまだに、震災が夢なんじゃないかと思うことがある。やけにリアルな夢をみているんじゃないかと、すがるような思いに包まれることがある。


「残念ながら現実なのだ」
何度この言葉を心の中で唱えたことだろう。夢じゃないんだ。とっくに覚悟したんじゃなかったのか。


それでも、つい毎日の生活の中で、震災をなかったことのように過ごしている自分に気づいてしまう。もちろん、震災にいつまでも囚われていても走れない。疲れてしまっても意味がない。それは分かっているけれど、「震災がもしなかったのなら」と白昼夢に逃げたくなる。


こうも思う。所詮人生も夢のようなものなのだと。僕らの意識も常に観念の中にあり、モノとコトの関連性の中に漂っている。それはまさに夢そのものだ。オブジェクトと事象がそれぞれの意味で繋がる世界だ。そして全ては僕というフィルターの中にいるのだ。
広げてみよう。上へ上へ昇って、広く見渡せばいい。そしてホンモノを見よう。地震津波、そして放射能。今見ているものへの視野の狭さを、今こそ解き放つのだ。