Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

摩訶不思議ドリーム

僕の夢は、自分でも思うが本当に奇想天外なのだ。


例えば、友人とボーリングに行くというシチュエーションから始まるとする。
すると、ボーリングの玉に指を穿つイメージが、ウォーズマンスクリュードライバーになり、身体を回転させて土手を転げ落ちるのは楽しいなあ、じゃあ行くよ!と仲間由紀恵がメガネとジャージ姿で声を掛けるとみんな走り出し、太り気味の学生服の子がいるので彼にジャージの素晴らしさを伝えるのだが、単位を取得するためのプレゼンは緊張するわけで、教授に指摘された箇所について黒板にチョークを走らすと、こんもりと積み上がった粉からは当然炎が上がるわけで、僕は火を消す道具を探しに教室にある引き出しを探し、やっとみつけたお金で集金に来た人に料金を支払う。
という感じだ。もうわけわかんない。なんというか一環したストーリーとか世界観とか皆無で、オブジェクトや事象のあるイメージが別のオブジェクトや事象に繋がっていくという何とも表現しがたい夢である。なので、ほとんどの場合覚えていない。あるいは起きた瞬間まで覚えているがすぐ忘れてしまう。記憶するためのきっかけが無いのだ。


ひとつだけ覚えている夢がある。これは大学1年のときに見た夢だ。偶然夕方まで覚えていたので、当時アルバイトをしていた塾で生徒たちのこの夢の話をしたら予想外な反響となり、塾のオーナーに夢診断をくらったというエピソードから、今だに覚えている。それはこんな話である。

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僕は母と赤いフェラーリに乗って出掛けるはずだったのだが、フェラーリが運転席側と助手席側に割れてしまい、母はそのまま並木道を行ってしまった。仕方がないので僕は半分になったフェラーリを組み立てて自転車にし、坂を下っていく。途中にヤンキーに捕まってしまい、自転車のチェーンのあたりに「安室奈美恵命」と落書きされてしまった。
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なんと馬鹿馬鹿しい夢だろうか。名誉のために行っておくが、決して我が家に赤いフェラーリがあったわけでもないし、憧れていたわけでもない。安室奈美恵に特別な思い入れがあったわけでもない。くそう。書いてて恥ずかしいぜ。
で、オーナーの夢診断によれば、この赤いフェラーリは僕の欲望だと。で、母から精神的に自立することを意味しており、追いついたらやばかった、と。追いついたら、母親に今だに精神的に依存しているということだと。


なるほどと思った。この夢診断が正しいかどうかというよりも、そうやって夢に登場したオブジェクトや事象から精神の動きを推測するというのは面白いし、関連性があるように思えた。
しかし、この手段を用いて夢をもう少し分析すると、これまた恥ずかしい診断結果が得られる。
まずは、僕にとって「大人への階段」が赤いフェラーリだという安直さというか幼いイメージが恥ずかしい。
そして、どうも僕は車に対して繊維の方向を前⇔後と認識しているらしい。縦に切れる。つまり、車からトランスフォームするとして、横に割れたりするとどうも気持ち悪いということだ。なんじゃそりゃ。
それから、どうも「安室奈美恵」というのは「大衆」を指してるんじゃないかと。大衆への迎合について、懐疑的であり拒否感を持っていることが分かる。僕にとって、ヤンキーもなんというか避けて通れないんだけど嫌だなあみたいな存在なんじゃないか。
毎回この夢を思い出すたびにウケてしまう、「半分になった車を組み立てて自転車にする」というシーンなのだが、どうもこの夢を見た時点では車の免許を取れてなかったので、自分に操作可能な自転車に無理やり持ってきた感がある。それにしても無理やりなので、毎度ウケてしまうのだ。


ところが、今朝は思いがけずリアルな夢を見てしまいまして。いやリアルといっても話に一貫性があるというレベルなんですが。起きたあと、しばらく動けなかった。リアルな夢って怖い。荒唐無稽な夢、バンザイ。