Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

フットワークを取り戻せ

ようやく仕事の目途がついてきて、いささか余裕も出てきた。明日は少し仕事を先取りできそうだ。
僕の大きな弱点は、自分で抱え込んでしまうことだ。適度に周りに仕事を振り分けなければ、身動きが取れなくなってしまう。長い目で見ても、周りの人間を成長させることでチーム力のアップにもつながるはずだ。抱え込んだ仕事に追われてしまい、せっかくの長所であるフットワークが生かせないのもデメリットだ。こうして少しずつ仕事を先取りして時間を確保し、抱え込んだ仕事の分割をやろう。あの軽いフットワークを取り戻せ。


僕が自分のフットワークの軽さに気付いたのは、祖父が亡くなったときだ。大学院1年生の僕は、母親が目を丸くするほどの気の効きっぷりであらゆる雑務をこなした。住職の送迎、足が悪い祖母のサポート、縁戚への対応、座布団を出したり片づけたり、お茶を出したり片づけたり。とにかく頭をフル回転してやるべきこと、やった方が良いことを見つけては次々と手を打っていった。分からないことがあれば聞く。聞くべき人が遠ければ電話する。電話で説明しにくければ直接行く。そうやって考えることを次々に行動に移していった。失敗もあったけれど、これが自分かと思うぐらい果敢に動いた。
実はそれは、じっとしていると祖父を亡くした悲しみに包まれてしまうことを感じていたからだった。そうやって無我夢中で動き回っている方が、じっと祖父の思い出に浸るよりも楽だったのだ。


就職してすぐ、この感覚を取り戻すチャンスに恵まれた。とんでもなく忙しい部署に放り込まれた僕は、残業と徹夜を繰り返し限界への道をひたすら突き進んでいる上司と先輩を目の当たりにし、これはとても「何をやったらいいのか」を教えてくれそうにないなと感じた。なら、何をやったらいいのか考える。考えて分からなければ訊く。訊くにあたり、最も上司や先輩が答えやすいピンポイントな質問を考え、最短時間で次のステップへ進む。誰もが苦しい。だから、僕がやるべきこと、やった方が良いことを見つけるのが何よりも大切だった。祖父が亡くなったときと同じだ。


陽転思考、課題解決能力、色々な呼び方があると思う。僕はこれをフットワークと呼んでいて、とにかく気に入っている。立場の違う人々の間を軽やかに飛び跳ね、時折飛んでくる汚い野次をスウェーでかわす。そんな印象がこの言葉には含まれていて、それが実に僕の感覚とマッチするのだ。