Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

愛する地元の言葉


昨晩は南三陸町で行なわれた野外音楽イベント「HOPEフェスティバルin南三陸」に出展。朝早く出発して夜遅く到着するという強行軍と、晴天とはいえど日陰で味わう10月の風が冷たかったおかげで、もうヘトヘトであった。クタクタであった。英語の先生から「How are you, Naoki?」と問われたら「I'm very tired. Fxxk you.」と応えること請け合いだったろう。


色々と感じたことはあったし、じっと思い出してあれこれ考えれば言葉になるようなことはたくさんあるのだけれど、まずは一つだけ。


「南三陸」という名称は、果たして南三陸町の人にとって本当に地元を感じさせる言葉なのだろうか。いや、別に「南三陸」に違和感を感じたような人を見たわけでは無い。皆さんとても頑張っていたし、そのエネルギーには確かに地元への愛情を感じたけれども、でも2005年に生まれたばかりの「南三陸」が市民権を得ているのかどうかはとても疑問だった。正直、多くの人にとって地元の名前は「志津川」だったり「歌津」だったりするのではないだろうか。物心ついて初めて行く南三陸町だったけれど、物心も何も僕が小さい頃は南三陸町なんて無く、志津川であり歌津であったわけで、今でも何となく南三陸!なんて感覚的にしっくり来なくて志津川!歌津!がしっくりくる。僕だけなのかな?変なのかな?


要するに、地元の文化というのは外からはなかなか分かりにくいものなんだ。ふとした言葉遣いだったり、仕草だったり、話題だったり、そういった細かいところに生活感というものがにじみ出てくる。住民一人ひとりのそうした生活感がいくつも重なりあってできるものが地元の文化であって、とても一言では語れないし、一つの視点からだけ見てしまうと反対側に置かれたものが見えにくくなってしまう。
地元の文化をできるだけ理解するには、残念ながらそこに済む以外有効な解決策が思いつかない。その場所で生活し、喜んだり悲しんだりすることで少しずつ地元の地元らしさに気づいてくれる。もし、震災前の日常への復帰が立ち上がるための第一歩ならば、堅苦しい新しい名前よりも、もっと通じ合える言葉がある。


そんな風に考えながら、昨夜はグッタリと寝入ってしまったのだ。