Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

夢見るミッドフィールダー


息子のサッカーに同行するだけなのに、何だかウキウキしていた。僕は全く関係ないのに、上下ジャージはもちろん、衣装ケースの奥からサッカー用のソックスとウインドブレーカーを引っ張り出す。ウインドブレーカーはしわくちゃだし、寒すぎたためいつものフリースを中に着たけれど、いつもと違う日曜を間違いなく楽しんでいた。何となく身が軽くなった気がする。昔のように動けそうな気もする。馬鹿、そんなわけないじゃないか。腰痛だって全快とは言えないんだぞ。そう自らに言い聞かせないと、つい思い切り動いてしまいそうなほどだった。


本当に遅くてびっくりしたのだが、本日ようやく、「息子がサッカーを始めて嬉しい」という自分の気持ちに気づいた。あ、僕はやっぱり嬉しいんだな。僕がずっと続けてきて、淡い夢を抱き、苦い思いも繰り返し、僕なりの楽しさも経験し、夢破れて道を自ら閉ざしたサッカーを、息子が楽しそうにプレイしている姿を見て、本当に嬉しい。正直言って、上手くなってもらいたい。誰よりも上手く、強く、速く、大きくなってもらいたい。そして、楽しさと厳しさを十分に味わって欲しい。夢を持ち、叶わない現実を嘆いてもいい。それが必ずや人間としての幅を広げるはずだ。


もう一つ、ようやく気づいた僕の思いがある。それは、「息子と一緒にプレイしたい」だ。息子は6歳だから、10年もすれば大人と遜色なく動ける程に成長するだろう。それまでに、僕も16年も前の体を取り戻そう。そして一緒にプレイする。対戦してもいい。チームメイトとしてでもいい。同じグラウンドに立って、一緒にボールを追いかけてみたい。


こんな風に思うなんて、ずっと信じられなかったよ。でも現実なんだな。人間って儚くて滑稽なものだ。