Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

親指と銭湯とミルクティー


今ネット上で話題になっているコメディアン鉄拳のパラパラ漫画。その中でも人気が高い「振り子」という動画は、この数日間で何人の人が見たのだろう。僕もその一人だ。そして何が良いって、この曲がすっかり気に入ってしまった。初め、その声がトム・ヨークに聞こえて、僕の記憶にあるどの曲とも違っていたので気になってしまったのだった。
曲を聴きながら、僕の心にある冷たい箱の一部がそっと温かくなるような感覚に陥る。ずっと眠っていたその箱は、いつしか、そこにあることすら忘れ去られてしまったような悲しい箱だった。長い間眠り続けて、冷たく静かにそこにあった。耳から入った旋律が、目に見える感情の波となってその箱にぶつかる。波は箱の角を優しくなでて、すぐにまた心の奥に消えてしまうのだった。箱はそっと温もりを取り戻す。でもその瞬間はあまりにも微かで、すぐにまた冷たくなってしまうのだ。


遠くに新緑に覆われた小高い山が見える。道路はいつまでも真っすぐに伸び、国道沿いのいくつかの飲食店には幸せそうな家族が見える。僕はリュックを背負って道路わきに立ち、左手の親指を上げる。太陽は眩しく、風が首筋を抜けて行った。
蒸し暑い道路を歩く。賑やかな繁華街を過ぎ、暗い路地の奥にその銭湯はあった。僕らは笑い転げている。お湯の香りがむっとした湯気と共に顔にあたる。
透き通るような夜空の下、僕と彼女はベンチに座っていた。長い間座っていた。さっき買ったばかりのミルクティーもすっかり冷めて、僕らは手にハーと息を掛けて擦り合せた。ゴオオといううねりのような都会の音に、不自然なほど綺麗に見える星たち。


幾つもの思い出が通り過ぎる。時々苦しくなるほどだ。
でも、もしかすると僕は、そんな瞬間を求めて音楽を聴いているのかもしれない。