Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

夢見るパパ

久しぶりに長い夢を見た。


金曜から土曜にかけて仕事が忙しかったことと、妻の仕事が佳境だったりその間隙を縫って僕も懇親会の幹事をしたり、あげくに日曜は息子が通う新体操教室の発表会があり、体がグッタリと疲れていたようだ。一緒に寝ようという息子の甘えに対抗する余裕もなく、二人でベッドに横になると程なく寝入った。強い地震で一瞬目を覚ます。息子はグースカ寝ていて起きる気配は無い。iPhone震源や最大震度を確認すると、地震を怖がった娘を抱いて妻が寝室にやってきた。その後の記憶は無い。僕もすぐに眠ったようだ。


ところで僕の夢はどうやら支離滅裂というかトンチンカンというか脈絡が無いらしく、どうにも説明しようがない。つまり統一した世界観やストーリーや論理的な流れというものが一切無く、あるモノや現象に対する僕のイメージから連想される全く別のモノや現象に繋がっていく。その流れにはとりとめが無いため、記憶することや記録することが本当に難しく、起きた瞬間から次々と夢の内容を忘れていく。


今朝見た夢の中で覚えていることは、以下の部分のみである。

僕が従兄弟と一緒にアメリカで開催されるライブに出場することになり、アメリカン的なロッジ風の建物のロフトのような所が控え室らしく腰を下ろしてギターを置き、ふと窓の外を見るとアイスクリームが売っているので買いに行くために窓から屋根に出て、不安定な足場から地面に降りて歩くのだが、西部劇風の街並みにヤンキーがたくさんいて、案内板を見るとここは新宿なのであった。へえ、ここは新宿なのか、そう思って従兄弟にここはどこだ?と尋ねるのだが答えようもなく、僕がアメリカの新宿ってどこだ?とか言うのだった。

他にもたくさんの夢を見たけれど、上のエピソード以外は覚えていない。上のエピソードは、アメリカンという点で一貫しているものがあるので、比較的覚えているのだろう。それ以外の夢は全く脈絡が無いので、覚えていないのだろうと推測する。僕の場合、夢の中ではっきりと「これは夢だ」と自覚すること(明晰夢?)が少ないように思う。夢の中の世界に没頭してしまうので、目覚めた瞬間、現実の世界に戻ってくるのに時間がかかる。


この、現実の世界に戻ってくるような感覚が何とも懐かしく、心地良い。
昔、小学生から中学生のころ、夢中になって小説を読んでいた時期がある。学校から帰り、夕飯の時間も忘れて文庫本1冊読みきったこともある。その時は本の中の世界に入り込んでしまって、現実に戻るのに時間がかかったような記憶がある。そうやってしばし現実から完全に隔離されていることで、改めて現実の現実さというか当たり前さに驚いた。僕は家族がいて、家というものがあって、昨日があって今日があって明日がある。その自然さに感動し、同じようにそれまで入り込んでいた空想の世界の不思議さに懐かしさのような名残惜しさのような、寂しい感覚を覚えるのだった。


最近はそうやって違う世界に完全に入り込むことが少なくなってしまった。まとまって時間を取ることも少なくなったし、ましてや独特な世界観を持つ小説を読むことや映画を観ることも少なくなってしまった。長い夢を見ることは、そんな現実からの解離を味わえる数少ないチャンスなのだった。