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東野圭吾『仮面山荘殺人事件』1995,講談社文庫 −ミステリー小説キャンペーン

仮面山荘殺人事件 (講談社文庫)

仮面山荘殺人事件 (講談社文庫)


この本を読んでみた。
2chまとめサイトをぼんやり見ていたらミステリー小説ランキング的なスレッドの紹介があり、なるほど心に本という良薬を投与するのも悪くないなと思った次第。ミステリー小説ならば、あまり考えもせずざっと読める気がしたし、近年読む機会があった伊坂幸太郎について、他のミステリーを読むことで比較してみたい気が湧いたからだ。


この物語の根幹をなすトリック自体は、何というか騙された!とか予想外でビックリ!といった感想はあまり持たなかった。それよりも、舞台設定やら文章やらをよくよく考えてつくったのだなあと感心した。結末から一つ一つ丹念に積み上げた物語というのはこういうものなのだなあと、やや呆れるほどだった。
正直、騙された感というのは伊坂作品の方が大きかった。それもそのはず、この作品は1995年のもので、伊坂作品は10年以上あとに発表されたものだから、何というかトリックの時代感が違うのだと思う。東野圭吾の考えたトリックは、当時としてはセンセーショナルだったはずで、僕も幼気な高校生の時分に読んでいたら足元から崩れ落ちるような騙された感を味わったに違いない。ところが、あまりにセンセーショナルだったがために、おそらくこれらのトリックは様々な形に姿を変えて模倣され、知らず知らずのうちに僕らの中にパターンの一つとして組み込まれてしまったのだ。


もう一つ、物足りなかったのは文章のトーンだ。言葉が紡ぐ空気感が、どうも無機質的に思えた。トリックありきの積み上げ式と表現したのは、その無機質感も影響している。伊坂の方が生々しいというか、僕らの呼吸している世界にずっと近い空気感を持ってるような気がする。東野圭吾がトリックそのものを表現したいのに対し、伊坂の場合はそういった事件やらトリックやらを通じて空気感を表現したいような気がする。


ということで、ミステリー小説キャンペーンは次の一冊に移る。