Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

初夢にK田さん来る

元旦の夜に、初夢らしきものを見たとツイートした。
ところが、口内炎がばれるという何とも意味不明な内容であり、きっと夢診断してくれと頼まれても困るだろうと思う。

昨夜というか今朝、いかにも夢らしいまともな夢を見たので、それを初夢ということにしたい。
夢の内容をざっと書くと、K田さんという方が出てきて僕以外の人に語りかけており、僕がK田さんの意見に同意し、僕が同じ考えであることを伝えようとして目が覚める、という筋だ。

このK田さんという方を最後に思い出したのはどのくらい前だろう。1年以上は前だと思う。
そんなK田さんが夢に出てくるということは、未だにこのK田さんの存在が自分の中で大きいことが良く分かる。

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K田さんは、前の仕事で一緒に仕事をした方である。
といっても同じ会社ではない。
僕が最後に担当したプロジェクトはそこそこ大きいプロジェクトで、複数の会社が合同で受注していたのだ。
そのうち主要な2社があって、K田さんはその1社の代表。僕はK田さんがいない方の主要会社の子会社の雑兵。

K田さんはプロジェクトの中でも総帥といえるような中心的人物で、年齢的にも実績的にも能力的にも100人規模の部下がいそうな事業部長レベルの人。
ところが、自分でプログラムはつくるは勤勉で知識は凄いわ、若手に負けず徹夜してこれでもかっていうぐらい良い資料つくるし、語りは上手でお客さんとも良い交渉をし、音楽と下ネタが好きで酒を飲んで若手と楽しそうに笑うし、仕事になると本気で怒るし、とにかくスーパーマンだった。
実際そのプロジェクトは、K田さん抜きにはそもそも存在し得なかったんじゃないか、ぐらいの人だった。

僕の親会社は、K田さんに主導権を握られてばかりではいけない、ということで、K田さんを超えないまでも同等のレベルで話ができる人間を立てた。
一人は課長クラスの素晴らしい技術者H氏。そして僕の先輩にあたる、子会社所属のM氏だった。

ところがこのM氏が、プロジェクトが本格化する直前に退職してしまう。
困った上司は、あろうことか先輩の後継に僕をあてがった。
課長〜部長〜事業部長クラスで、経験も知識も発言力も最高級の方々を前に、子会社のヒラで入社3〜4年目の20代の小坊主が立ち向かうの図。自分としても良くやったなあ、としみじみ思う。

参加した当初、僕はM氏の後継にしては知識も経験も浅く、発言が的外れだったため多くの方にため息をつかせた。
そんな中、K田さんは僕の発言の小さな光を拾って認めてくれた。
その後もK田さんにはたくさん叱られ、徹夜をさせてしまい、体調が悪いときにも無理をさせ、要するに大変な迷惑をかけてしまった。
しかし、K田さんは何故かいつも僕の味方をしてくれた。
いつしかK田さんと僕の意見は同調を見せ始め、プロジェクトの終盤を形作っていく。K田さんに導かれ、僕はなんとプロジェクトの先端を一緒に走っていたのだ。

そしてプロジェクトに終焉が見え始めた頃、K田さんは誰にも告げずそっとプロジェクトから姿を消す。
もちろん他のプロジェクトからの要請があったからだ。
K田さんの力があれば、きっとどんなプロジェクトでも第一人者として活躍するに違いない。
しかし、最後に一言、挨拶したかったのが心残りだった。

K田さんが去ったあと、僕は多くのものを背負ってアメリカへ飛ぶ。そこでプロジェクトの根幹を貫く、あるミッションを果たして帰国。それから3ヵ月後、僕も1年前からの約束どおり、会社を辞めた。

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今、僕のつくるアウトプットに対してK田さんのレベルで評価してくれる人がいない。
ある意味気が楽だけれど、心の底ではK田さんのようなレベルの人に見て欲しいのかも知れない。
資料をつくるときのあの緊張感、そして「これは凄く良いね」と言ってもらえた瞬間のあの感激を欲しているのかも知れない。

今年は、アウトプットのクオリティを上げよう、そう思った初夢であった。