Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

あなたのヒーローとはなんぞや〜「伊達直人」登場〜

伊達直人」に始まる寄付の連鎖に、様々な人が様々な意見を述べておる。
肯定的な人も、否定的な人も、どこかほっこりした記事なので見ていて和む。平和だ。

僕としては、おそらく日本人の考えるヒーロー像というものが世代ごとに違ってきており、まさに今壮年を迎える方々のヒーロー像に「タイガーマスク」があったのではないか、と考えている。

昭和53年生まれの僕は、この話題によってタイガーマスクの大まかなストーリーを初めて知った。タイガーマスクは当時の社会情勢の中で、孤児院の悲しさとか貧しさとか、そういったものに立ち向かうヒーローだったわけだ。

当然だけど、そういった社会情勢は今は全く変化していて、タイガーマスクのヒーロー像はあの当時だったからこそあり得たわけで、現代のヒーローはもう少し違うと思うのだ。
僕にとってのヒーローといえば、

なんてところで、タイガーマスクとも、現代のヒーローともやはり違うんだと思う。

多くの人は子ども時代にテレビや雑誌などでヒーロー・ヒロインを見て、憧れるんじゃないだろうか。それは、たとえ大人になる過程で記憶から少しずつ薄れていくとしても、きっと心の奥底に深層心理として埋め込まれるものの一つになるのではないだろうか。
そして自分がこの世界の一員として自覚し、また世界の光も闇もある程度見ることができるようになったころ、何かのきっかけで当時見ていたヒーローと自分を比較することになる。憧れていたヒーロー(のような存在)に、自分は今なっているのだろうか、どうすればあの時のヒーローのように人々を救うことができるのだろうか。社会人としてある程度の地位を得、子どもを生み育て、今まさに時代を担う世代になって、やっと自分の中のヒーロー像を自覚できるのではないか。

僕の勝手な推測だけれど、「伊達直人」さんはそんな世代を代表する一人ではないか。今自分ができることを、心の中のヒーロー像と比較して出した答えがランドセルだったのではないか。

すなわちこの騒動が示すものは、今40代後半、つまり日本社会を動かしている年代にとってのヒーロー像とは「タイガーマスク」である、ということだ。
そしてこれがあと15年も経てば、仮面ライダーBLACKやジャッキーチェンやカズに憧れた世代がその時代を迎える。その時、ヒーローと比べた自分に我慢ができなかった人の『善意』はどのような形で噴き出すのだろうか。それは、ランドセルでは無いに違いない。ひょっとすると、笑顔で戦うカンフーヒーローかもしれない。

そんなわけで、今日も僕の中のヒーロー像を目指し、笑顔、笑顔、と呟くのであった。