Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

輪をワーッと広げる

昨夜寝るのが遅かったのだ。

洗い物や洗濯物が溜まっていたことと、娘がぐずって嫁さんが取られてしまったことと、家事を始める時刻が遅かったことに加えて、合間の休憩時間がやたら長かったからである。自業自得だ。やむなし。


朝もかなり寝坊した上にひどい眠気で、娘にミルクをあげていると自然に瞼が閉じてくる。ダメだ。そう思ったとき、ふとiPhoneFacebookを開いた。
すると、昨日の記事で少し触れたSDMA(セキュリティチェックが必要です)の方向性について、Facebook上に熱い議論が始まっていた。意見を読み、僕の頭の中にムラムラと考えが浮かんできた。
するとどうだろう。さっきまで閉じる寸前だった瞼は上下に見開かれ、頭の中は炎が宿ったように思考がメラメラと燃えている。そして、朝食を含めた朝の慌ただしさにある現状を把握すると、議論はひとまず頭の隅に置いておいて、目の前のやるべきことに集中できた。
人間の脳ってスゴイ。興味・関心ってスゴイ。覚醒というのはこういうことを言うのだろう。


つまりは、興味・関心の話題がまわりに溢れていれば、意識はより覚醒しやすいということだ。言い換えれば、興味・関心の範囲が広ければ広いほど、より頭の使った生活に身を投じやすいことになる。頭脳の働きもそれだけ良くなるはずだ。
たとえ一日あたり数分の違いでも、数年間の習慣になってしまえばかなりの差となる。処理すべき情報が増え続ける現在において、こうしたトレーニングは大きなチカラになるのではないか。
それ以外にも、認知症への対策としても有効かもしれない。認知症に進行する可能性がある高齢者にとって、頭を使うことが効果的なことは自明だが、興味・関心がなければ頭を使うことも単なる苦痛でしかない。実際、若い頃からの習慣に基づき関心の輪を広げ続けている高齢者は、いつまでも若々しく感じられる。興味があるからこそ、楽しくあれやこれや考えることができるのだ。


いかに自分の関心の輪を広げられるか。これが、これからの情報洪水の中で自分を見失わず、かつ自分の能力を高めるためにひとまず取り組まねばならない課題だろう。そのためには、当事者意識は欠かせない。自分との関係を意識できなければ、関心もそれほど強くは感じないだろう。
新聞はそんな「興味・関心の輪」を広げるためにとても大切なツールだ。新聞を読むことは、インターネットだけでは得られない分野の知識を得られるチャンスとなる。


そんなわけで、ひとまず今日は新聞の宣伝でもしてみた。最初はこうなるつもりじゃなかったんだけれど、書いていくうちにテーマが変わってしまうのは良くあることである。まあいいや。