Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

TMネイティブ

昨日、嫁さんと息子は「映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団」を見に大河原へ。


嫁さんには感想を訊くまでもない。映画終了と同時に感動の様子をツイートしていたからだ。我々の世代は、旧声優陣時代の映画で涙した世代。思い出も重なり、藤子プロと小学館の釣りにモロ引っかかってる。僕なんかYoutubeで予告編見ただけでウルった。ダメだ。


ところが、息子に感想を訊くと笑ったシーンしか出てこない。嫁さんに訊いてみても、息子が感動した様子は見られなかったという。残念。実は、息子が映画などの創作物で感動したところを見たことがなく、父親として密かに初めての感動体験を期待していたのだ。ドラえもんなら、いや、リルルならやってくれる。きっとやってくれる。そう思っていたのだ。


風呂の中で、息子に映画のことを詳しく訊いてみた。すると、意外なことが分かった。息子はタイム・パラドックスを理解していなかったのだ。この映画の感動ポイント、すなわちクライマックスは、このタイム・パラドックスへの理解が欠かせない。息子は、感動しようにもこの点がよく分かっていなかったのだ。


息子は遅れているのか?
旧鉄人兵団の公開は1986年3月。僕は8歳だから、息子よりはやや年上だ。しかし、これより前、魔界大冒険の時点でタイムパラドックスは物語の重要なポイントとして扱われていた。魔界大冒険は1984年だから、僕や嫁さんはほぼ息子と変わらない年齢である。もっと言えば、テレビや雑誌のドラえもんでもタイムマシンを使ったエピソードは多く、僕らの世代はこれらの作品に毎週のように触れていたのだ。
そう、我々は「タイムマシン・ネイティブ」なのである。


思えば、息子はそれほどドラえもんを観ていない。観ているのはウルトラマンなどの特撮物やクレヨンしんちゃんなどであり、もちろんタイムマシンが関わるエピソードというのはどちらかといえば例外的な話である。
そうかそうか、そうだったのか。我々は知らず知らず、空気のように自然にタイムマシンを理解していたのだ。タイムマシンといえば、SFでも多く取り上げられるテーマだ。つまりはSFを理解する基盤ができているってことだ。ドラえもんってスゴイ。日本のSFを支えているのは、もしかするとドラえもんかも知れない。


そんなわけで、新・鉄人兵団を観たくてたまらない僕は、いつ行けるかとしばしGoogleカレンダーとにらめっこした。
うーむ。無理。
それよりも、仕事の締め切りは刻一刻と近づいている。
Time to Countdown。