Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

漠然とした不安感とは

Facebookでこのような会話があった。きっかけはTwitterでも僕のポストからだ。

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新聞を読んでも、テレビを観ても、一歩一歩、被災地の生活が震災前の日常に近づきつつあるように見える。でも、この漠然とした不安感は何なのだろう。胸騒ぎが止まらない。


>M7以上の余震の可能性がまだ残ってるらしいですね。


やはりそうなんですね。地震の予感なのかなあ。そんなに第六感が働くタイプじゃないんだけれど・・・。


>やつさんAB型のリアリストですもんね(笑) よく分からないんですが、福島はこのままで終わらない気がして・・。あと地震では東北じゃなくて、首都圏の心配があります。


>目に見えるものの速度に心の速度が追いついていかない(受け容れられない)不安感のようなもの…災害等を経験した人がしばらく経ってから経験する精神症状、かなと思ったのですが。
>災害ではなくても例えば、大切な人を亡くしてその時は気丈に振る舞えたけどしばらくしてからガクッときた(辛くなってきた)…というような。
>違っていたらすみません。


なるほど。お二人の意見を伺って自分の考えが少しまとまってきました。
この震災で僕は、少なくとも僕が見える範囲の世界に関しては
「変わってしまった」あるいは
「変わりつつある」または
「間違いなく変わるはずだ」
と思っているのです。
沿岸部で家を土地を家族を町を流された人々や原発周辺に住んでいた人々は、もう否応なしに上の三つに当てはまるわけです。
僕は家も土地も家族も町も失っていないけれど、何となく自分も当てはまるような気がしているのです。


ところが、僕を含めて周囲は、震災前の生活に戻ろうとしている。そして着実に戻りつつある。それが、本当に正しいことなのか分からない。全てが変わってしまい、今なお変わりつつあり、今後も間違いなく変わっていく人々からたった数十kmしか離れていなかっただけで、僕は変わらなくて本当に良いのか、と思うわけです。


何か、大切な変化を見過ごしているんじゃないか、と思うのです。その変化に合わせて、自分も変わるべきであり、元に戻るのではなく新しい生き方をすべきなのではないかと思ってしまっているのです。

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変化は、必ず何かを生み出すと思う。良いことも悪いことも。
だがその変化を経て、人は大きく成長もする。成長とは変化の積み重ねなのだ。変化の無い生活から成長は得られない。
東北の太平洋沿岸部で被災した方々には、人生でも最大級の変化が訪れた。それは残念ながら、悲しく辛く厳しい変化だった。
しかし、その変化を経て立ち上がろうとしている人々に対して僕は、不謹慎にも嫉妬に近い感情を覚える。ここから這い上がった人々は、それはそれは大きく大きく成長しているに違いない。強く逞しく成長するに違いない。それは、成長しなければ乗り越えることができないほどの甚大な変化だったのだ。
そして数年後か十数年後、日本は変わるだろう。その核となる人間は、今この大震災を乗り越えた人々に違いない。


僕はここで、元に戻ろうとしている。変化を受け入れることも無く、震災前の生活に戻ろうとしている。それで良いのか?僕の不安は、そこにあるように思える。