Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

MAJORならぬMOJAR

髪が伸びた。切りたい。実に切りたい。


天パーなのだ。このジメジメし始める時期、僕の髪の毛はまるで生物のように自由だ。
今の僕は、やや片桐仁チックである。片桐仁とはこういう人だ。↓大好き。


くせ毛には毎度泣かされた。
中学あたりだろうか。色気が出てきて髪型を気にするようになったのだが、あれれ、なんだか自分の髪の毛は変だぞ、と気付いてきた。同学年の女子がキャーキャー言ってるカッコイイ先輩、テレビのアイドル、人気のサッカー選手、みんなサラサラの髪の毛なのに、なんだか僕の髪の毛はサラサラしてなかった。
朝、頑張って母親のドライヤーやヘアスプレーなどを借りて自分なりに納得する髪型まで頑張った。ところが、どうも思うようにいかない。あっちへ行く流れとこっちへ来る流れがあって、途中で交差したり渦巻いたり立ったり寝そべったりしてる。手をかければかけるほどドツボにはまり、遅刻までのタイムリミットは近づくのである。毎朝妥協感との闘いだった。
多くの人が、そんな努力をせずとも済んでいることを知ったとき、心から愕然とした。なんでええええええー。


そんな悩み多き思春期を経て、大学時代にはもうすでに居直っている。あ、いいや、と。サラサラヘアーにはなれないのだ僕は、と。だったらもうモジャモジャ道を極めればいんじゃね?と。
ところが、理容室の主人は黙っていてくれない。大学生のころ、一度アイロンパーマ用のコテを使って髪の癖を伸ばされたことがある。僕は何も注文していないのに、である。結果、ファイナルファンタジーの主人公みたいなポリゴン風味あふれるジャキジャキ頭になった。ばかー。もう、ばかー。そして何より、「こんなくせ毛の人は、必ずくせを伸ばして欲しいに決まってる」という主人の思い込みに、実のところは当たってしまっている自分が悔しい。例えポリゴン風ジャキジャキ人間でも、くせ毛より良い、と思ってしまう自分が悔しい。


最近じゃもうなんだか落ち着いてしまって、いつもモジャモジャの方が、いざという時にかっこ良く見えるし良いんだとか、なげやりもいいとこだ。嫁さんから注意されるのも致し方ない。
いっそのこと坊主かアフロにすれば良いのだろうが(良いのか?)、そんな勇気もない、ヘタレなモジャモジャである。