うつくしき杜の都
いつ来ても、仙台はとても綺麗だなあ。
ところどころ工事用の防音シートに囲まれたビルを見かけるし、崩れたブロック塀や割れたコンクリートなんかも目にするけれど、それでも美しさは色あせていない。どの方向を向いても緑が目に入り、派手な看板やノボリは目立たずにひっそりと自分を主張している。道は十分な広さがあって、邪魔な自転車なども少ない。自動車が常に渋滞しているわけでもないし、人が多すぎてむさ苦しいわけでもない。道端に、ふと花を見かける。並木は丁寧に手入れされている。落ち葉や害虫などもあるだろうに、そうしたもので嫌な気分を味わった記憶がない。
きっと、こうした美しさを守っているのは、多くの人々の地道で敬虔な作業のおかげなのだ。ゴミを拾い、草木に手入れをする。もちろん市の発注によって仕事として行っている人がほとんどだろうけれど、露店の従業員の方が店の前を丁寧に掃除している様子を目にすることもあり、綺麗さを保つことへの意識は仙台をつつがなく覆っているのだなあ、と感じるのだ。
「まちづくり」という言葉が一人歩きして、机上であれやこれやと考えた分厚い計画書がもたらすものに、いったいなんの意味があるのだろう。そこにいる一人ひとりが自然にその風土に従う。まさに郷に入れば郷に従えだ。そんな空気のようなものをつくるには、きっとそこに住んだり働いたりする一人ひとりが感じ取れるピュアな基準と、長い年月が必要なのだと思う。
僕は白石生まれの白石育ち。生粋の白石人だけれど、白石白石ー!で突っ走っても周りが見えてなければ独りよがりになってしまうかも知れない。もう少し、仙台に入り込んでみようかな。仙台のまちづくりに参加してみて、見えてくるものがあるような気がする。