Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

言い訳ザッツライト

本日、父と2人で2件ほど外出した。


電話でも十分話せる内容なのだが、父が直接行くと言うので従った。あいにく1件は訪問相手が不在だったけれど、先々でいろいろな人と挨拶して少し会話し、また行き帰りの車内で父とあれやこれやと話をした。こうして何気ない1日がとても濃い1日になる。言葉という左脳的記憶だけではなく、場所や人の表情などの印象が右脳的記憶としてリンクされる。それは、おそらくずっと後にも要点を踏まえて思い出すことができる記憶となるだろう。もちろん主観が入ることは否めないが。


直接会い、話をする。可能な限り、その一時を思い出深い時間にする。それが父がその時代にとった手段なのだ。後日、こんな風に記憶を遡ることになる。「あれ、あの水車があって、魚が美味しい店あったでしょ、あそこで話した件だよ。」


もちろん、デメリットもあった。飲みニケーションと揶揄されることもある。FAXやEメールを使えば、ほんの数分で済んでしまうことだってある。効率が良くないことの方がずっと多い。


でも、最近はそんな父の時代のやり方に、とてつもない力を感じる。どんなに多くのWebサービスを使おうとも、最新技術を使おうとも、直接会って話をすることの付加価値とは比べものにならない。


そんなわけで、飲み会に行きたーーーい!!みんなー!飲みに行こうぜーーー!!!