Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

FUKUSHIMA

明日、福島市へ行ってくる。


震災からもうすぐ4ヶ月になろうとしている。ようやくだ。やっと福島へ行ける。
もう少し早く行くべきだったのかも知れない。あの時こうしていれば、もっと早く行けたんじゃないか。そう思うと自分の力の無さに唖然とする。
でも落胆している場合じゃない。まだまだここが始まりなのだ。全国から集まった思いやりを、放射性物質に怯えながら福島で暮らす子どもたちへ届けるための第一歩に過ぎない。僕が道をつくらなくてはいけない。僕の背中には、被災地の力になりたいと願った日本中の友達の気持ちが乗っている。
福島市のお友達、待っててね。おじさんがもうすぐ絵本を届けるからねー。
苦しんでいる友達のために、かけがえの無い大切なモノを送ってくれたお友達、待っててね。おじさんがもうすぐ君の気持ちを伝えるからね。


誰かがこう言った。「ともかく津波は終わったのだ。前を向いて進むしかない。」
その通りだ。とても悲しく辛いことだったけれど、津波は終わった。悲しみを抱えて前に進む以外にない。
だが、福島は違う。何も終わっていない。それどころか、これから数十年、ひょっとすると多くの人にとってはその生涯を終えるまで付き合い続けなければいけない。前を向くことすらできない。何たることだ。
そして子どもたちは屋外で遊ぶ時間を極限まで削られ、部屋の中で生命のエネルギーを発散しなければいけない。慣れ親しんだ故郷を離れ、小さい空の下で遊ばなくてはいけない。
なんて悲しいことなんだろう。
せめて、素敵な物語の世界に行って欲しい。夢の世界で自由に飛び回ってほしい。
そんな子どもたちの中から、僕はきっと、日本と世界を変えられる偉大な人物が生まれると確信している。未だ見ぬ未来の勇者を、僕らは大切に育てなくてはいけない。


父方の祖母は福島市松川町生まれ。僕は半分が岩沼市で、4分の1がそれぞれ白石市福島県福島市でできている。
夏といったら福島の桃だ。毎食でも飽きない。
喘息で虚弱体質だった少年の僕は、不自由な左手を持ちながら偉大な研究を成し遂げた野口英世にとても共感した。


福島は、僕にとって間違いなく故郷だ。その最前線にいるものとして、僕はやるべきことをやるだけだ。
福島に降り立ったら、まずは大きく深呼吸をしよう。白石よりわずかに濃い放射線とともに、故郷福島の空気を存分に味わうのだ。