Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

3年で得たもの

そういえば、白石に越して丸3年になる。


前の会社を、最後のボーナス支給直後というなんともあこな時期に退社し、冷夏の7月に白石に降り立った。
最初の一年は、何もかもが違うことに僕も妻も息子も戸惑いっぱなしだった。いや息子は別か。幼稚園にもすぐ慣れてたしな。
二年目は妻の悪阻と出産だ。こっちの生活に慣れてきたころの悪阻は大変だった。また何もかも違う生活に突入して、僕も妻も息子も大変だった。いや息子は別か。楽しんでたしな。
三年目は娘の相手と経営という仕事の本格化、あげくに震災だ。慣れる慣れないの問題ではなく、常に明日はどっちだの生活。僕も妻も息子も娘も無我夢中だった。いや息子と娘は別か。どっちにせよ無我夢中だしな。


今朝3時頃、目を覚ました病み上がりの娘を抱いたまま、寝室を歩く。半分眠った頭、汗ばむ背中。ようやく寝息が聞こえると、自分のベッドにあぐらをかいた。どうせ着地は失敗するから、娘を抱えたまま眠ることを決意。娘の頭と僕の左膝の間にクッションを入れ、右足の太ももを使い娘のベッドを僕の下半身に作成する。そのまま目をつぶり眠る。おそらく数十分おきに娘は目を覚まし、ひとまず膝を使って揺らしてみる。それでも寝なければ娘を抱えて立ち上がり、そのまま寝室をウロウロする。
はっきり言って眠いし辛いし、そのまま寝続けられたらどんなに良いだろうと思わなくも無い。
しかし、寝息を立てた娘の顔を見ると、どうしても笑顔がこぼれてしまうのだ。


この3年、無我夢中だった。果たして3年の月日に見合うぐらい成長できたのかは正直不安だ。リーマンショック東日本大震災も体験し、得たものよりは失われたものの方がずっと多い。
しかし、娘の寝顔は、この3年間で得ることができた数少ないもののうち、最も美しいもののひとつだ。これがあれば、僕はどれだけ失っても立ち直って歩いていける。どれだけ傷ついても、笑って前を向けるのだ。