Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

座敷オブジェクツ

このところ、日中は職場兼実家の裏にある座敷で寝転んでいることが多い。少なくとも休んでいるとその分痛みが和らぐのは確かなので、もうすかさず休んでいる。出社して、最低限のやるべき事をやったらゴロリ。昼食を摂ったらゴロリ。午後の会議が終わったらゴロリ。わくわくさんのパートナーはゴロリ
これじゃあ太っちゃうな。治ったらストレッチに加えて筋トレと、有酸素運動も取り入れないと。


座敷にはこんなオブジェクツが並んでいる。

他にもアイヌの伝統工芸品であるとか、よく分からないツボであるとか、白石なら当然の"こけし"も並んでいる。そこそこ価値のある品物かも知れないが、震災で一気に面倒なものになってしまった。何しろ余震のたびに倒れては崩れ落ち、傷の跡に一喜一憂するのに疲れるのである。こけしなぞ、下の娘の遊び道具だ。重い"こけし"を持ち上げては、座布団の上に持っていき、落とす。どうも彼女的には座布団に寝させようとしているようなのだが、「横たえる」というよりは明らかに「落っこちる」である。


いやまてよ。そもそも"こけし"とは、子どもの愛玩具から始まったハズだ。伝統工芸品としてガラスの奥に飾られるようになったのはつい最近のことだ。元々は、特に女の子によって遊ばれた、今で言うメルちゃんなのだ。(間違っていたらスミマセン)
そう考えると、狛犬の置物は玄関などで魔除けを意味していただろうし、花瓶はそのまま花を活けるためのものだったハズで、日常品から工芸品となったということは、時代の流れにより本来の役割を失ったということだろう。生活様式の変化によって不要となったものや、もっと便利なものに取って代わられた。すなわち、"こけし"よりもメルちゃんの方がずっと子どもたちを魅了し、魔除けという考え方が薄れ、安価で丈夫な花瓶や造花が部屋を彩っているのだ。
しかし、こうも言える。これらの工芸品は、土産物や贈呈品、あるいは鑑賞用としての価値を得たのだ。古き良き日本文化を後世に伝える役割を担い、彼らはジッとそこにある。谷津家の座敷にジッと座り、僕たちを見守ってくれているのだ。


そして、次は僕たちが新たな役割を与えればいい。新たな意味を感じればいい。そうして文化というものは生活に合わせて変化し、生まれ変わるのだ。


ということで、早速座敷に行き、これらに腰痛の回復を祈りながら横になろうと思う。ああどうかよろしくお願い申し上げます。