Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

それは石のようなイシ


娘の意志の強さは、さすがの妻も舌を巻くほどである。上の写真は、昨晩のわが家の流し。隣の部屋から鏡台用の椅子をエンヤコラ持ってきて流しの前に置くと、その上にヨイショと立ち、隣にいる僕に水を出せと命令する。流しには、息子の弁当箱が無造作に置いてあった。幼稚園から帰宅したら、弁当箱を流しに放り込むのが息子と交わしたルールなのだ。娘はその弁当箱を手に取ると、水道から落ちる水に当てはじめた。そう、彼女は1歳4ヶ月にして、洗い物をやろうとしたのである。いつも親がやっている洗い物を見ているかというとそうでもない。つい最近、僕が腰痛でなかなか動けないときに1度だけ、妻が昨晩と同じように鏡台用椅子に娘を立たせ、洗い物をしたそうだ。娘はそれを見て、よし自分もやってみようと心したのである。
いい加減服も濡れてきたので、「もうおしまいね。ありがとうー」と言いながら椅子から降ろすと、娘はこの世の終わりが来たかのように泣き叫び、もっとやらせろとせがむのである。結局、娘は10分以上流しに立って息子の弁当箱を水洗いしたことになる。なんだこれは。何なんだこの意思の強さは。


思えば、娘の寝返りはものすごく早かった。確か2ヶ月で既に寝返りできていた。おそらく、偶然じゃないと思う。僕には、仰向けのままでは良く見えない範囲のものを見たい一心で頑張り続けていたように見えた。それからというもの、全く喋れないくせに要望願望という意思をハッキリと親に伝えてきた。あれをやりたい、ああすべきだ。何たる強さじゃ。


こうした意思の強さは、興味のある分野についてその能力を大きく伸ばす可能性がある一方、他の人とチームになって行動すべき場合には、ときに問題を生じさせる場合もあるように思う。特に、リーダー的な立場となってチームメイトを引っ張る場合には、ある程度の寛容さと包容力が不可欠だ。そういう意味で、娘は人心を掌握して集団を統括するようなタイプよりは、一匹狼になろうとある専門分野について深く追求するタイプではないかと思う。
まあ、1歳4ヶ月なので、これからいかようにも変わるだろうけれど。


そんなわけで、あれこれと娘や息子の将来を考えてはボーッとしてしまう僕はタダの親バカ。