Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

雲ノムコウ

そうか12年になるのか。


あの日僕は、生まれて初めて人前でギターを持って自分のつくった曲を歌ったのだった。勾当台公園は学生のロックバンドが多く、一番町や定禅寺通りで聴くことができる上質な音楽とは似ても似つかない音の溜まり場だった。かくいう僕も学生であり、「その他大勢」の一人だった。朝から今ひとつの天気で、ジリジリと焼けつくような暑さではない代わりにどこかどんよりした印象を与える日だった。僕らが演奏した数曲のうち、自分が歌った1曲を除いて、僕はドラムセットの後ろにいた。あまり注目を浴びないはずのこの場所から観客を見ると、通りがかる人の表情まで見て取ることができた。多くの人は、僕たちのブースで演奏する他のバンドの関係者と、隣のブースで自分たちの順番を待ちながら、他のブースでも偵察するかとやってきた人たちだった。その目を見れば、何を考えているのかよく分かる。それは「自分たちより上手いか下手か」あるいは「自分たちよりイケてるかイケテないか」を観察しているのだ。


ギターを持ってマイクの前に立つと、僕は僕じゃないような気がした。とにかく歌詞だけ間違えないようにしよう。そう思ってとにかく歌った。結果、歌詞は間違えなかったもののコードを間違うという失敗をし、僕にとって思い出すたびに「うわわわわわわーーー」となってしまう記憶となった。


ところで、その時うたった曲の歌詞にこんな一節がある。

どこかで見たような雲の奥に何が待ってるの
くだらない情け無い話と君は笑えばいいのさ

思い出しながらうわわわわわわーーーとなっている僕を許していただきたい。そもそも12年前ということがすんなり分かったのは、他でもないこの曲のタイトルが「21」であり、それはつくった当時の僕の年齢を指していたからだ。この辺も書いていて恥ずかしくてたまらない。ええい。発表してしまうのだ。隠しっこなーーーーーし!!


それでも、今でも、雄大な空に浮かぶ巨大な雲を見ると、どうしようもなく胸が高まってしまうことを自覚せずにはいられない。高所恐怖症で数メートルの高さでも足が震え、可能ならばもう二度と飛行機には乗りたくない僕がだ。子どものときに抱いた憧れ、未知なる世界への夢、大いなる冒険への期待、そういった数々の憧憬が、今も僕の心に深く深く残っていて、雲をキーワードに僕の胸を突き上げてしまうのだ。単なる幻想だし、幼稚な考えかとも思う。どうぞ笑って欲しい。くだらない、情けない話だと笑えばいいのさ。


ある時期、僕はそんな想いを捨てようと努力していた。どうやったらクールな生き方ができるかを試行錯誤した結果、こんな想いをまず捨てきることが必要だと思ったからだ。しかし、それは失敗に終わった。僕はどうしても捨てられず、むしろ高まってしまうことに気づいてしまったのだ。村上春樹の小説に出てくる、「僕」や「僕」を理解してくれる人たちにはなれないと悟ったのだった。


そんなわけで、今でも僕はワクワクしている。あの雲の向こうに、どこかで見たような何の変哲もない日常の向こうに、絶対に何かが待っているハズだから。