Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

記憶

別世界感

東京から白石に戻ってきて今年の夏で丸6年。徐々に出張する機会も増えてきて、来年度は6月に広島方面と名古屋、7月に大阪、多分8月に東京だ。大都市ばかりだな。 東京で働いていたころもそここそ出張があった。網走、石川、名古屋、大阪、徳島、沖縄。シ…

「僕、ずっと忘れないと思う」

昨夏のこと。日帰り東京出張でもうすぐ帰りの新幹線に乗ろうとする頃に嫁さんから電話があり、息子がちょっとした事件を起こしたことを知らせてくれた。まあ些細といえば些細なことなのかも知れないけれど、少なくない人たちに迷惑を掛けてしまって、僕もそ…

息子1歳半、サンタ衣装

メリークリスマス! この写真は7年前、2006年の12月24日の写真です。僕はなんと20代!なのにこのヒゲ・腹・ヨレヨレのエプロン!さすが20代! そして息子は1歳半。この頃はマッシュルームカットで、度々女の子に間違えられたものでした。この…

息子1歳半、ゲラゲラオニギリ

過去の写真を貼って「いいね!」を稼ごうシリーズ。今回は息子が1歳半の時の写真だから、今から7年前。 当時息子を預けていた保育園の秋の遠足で新宿御苑に行った時の写真。この保育園がまたいい保育園で、良い先生にも恵まれて、楽しい日々だった。朝送っ…

閏年のセントルイス

前回の閏年2008年は、変化の年だった。仕事を辞め、東京から白石へ引越し、こちらでの新しい生活をスタートさせた年だった。 ちょうど今頃は、最後の仕事となるプロジェクトの大詰めを迎えており、3/10に迫るアメリカ・セントルイスへの出張の準備に追われて…

缶とラジカセ

小さい頃にジッと見ていたもの。 おもちゃを入れていた缶。古き良き時代のモダンな服装の若い男女が街並みの中をダンスしているような、そんな模様だった。僕は寝そべって、ジッとその缶の模様を眺めている。缶の冷たさが気持ちいい。熱があって横になってい…

砂の上のベンチウォーマー

僕は実はですね、こう見えてもサッカー少年だったんですよ。今は見る影もないのだが。 あれは確か小学4年の終わり。学校で配られたサッカー少年団団員募集のプリントを見て、僕はktkrーーーー!!!と思った。小学3年生から続けていた書道教室はいささかう…

生活と仕事と我が家と近所

Facebookにタイムラインなる機能、というか設定のようなものが登場し、早速使ってみた。で、このタイムラインの使い勝手がどうとか位置づけだとか影響だとかそういったことは全く分からないのだが、とにかくこのタイムラインを遡ると、「誕生」なる地点があ…

雲ノムコウ

そうか12年になるのか。 あの日僕は、生まれて初めて人前でギターを持って自分のつくった曲を歌ったのだった。勾当台公園は学生のロックバンドが多く、一番町や定禅寺通りで聴くことができる上質な音楽とは似ても似つかない音の溜まり場だった。かくいう僕も…

夏のぜんざい

愛する子どもを突然失ってしまった人に、僕は何も言えなかった。まちも仕事も失った人にも、僕は何も言えなかった。悲しみに打ちひしがれている人に、僕らは一体どう接したらよいのだろう。どうすれば、ひとときのやすらぎや希望を与えることができるだろう。…

記すべき思い出

業界青年部の総会は初めてだった。 2009年10月だから、1年と8ヶ月前。その年の5月に、僕は初めて業界青年部の皆さんと顔を合わせたばかりだった。右も左も分からぬまま、わずかに親交のあった先輩方に教えを乞う日々だった。もちろん総会も初めてだ…

カーテンの待つ部屋

日曜は掃除デイなのだが、今日は久々に寝室のカーテンを洗ってみた。気持ちいいーー。 冬の間は洗っても乾かなそうだし、ここにきて雨が降ってたからなー(言い訳) カーテンを洗うことには、何だか妙な思い入れがある。原点は、村上春樹の「ノルウェイの森…

祖父が残してくれたもの

昨日祖父のことを書いたことで、色々と思い出してしまった。 祖父の通夜。葬儀場で会食が始まり、大学生だった僕は、一足先に祖母を自宅に送り届けて戻ってきた。すると、参列してくださった皆さんと家族は全員会食場に行ってしまい、祖父の棺だけひっそりと…

祖父の手相

僕の右手。 どうも、珍しい手相だそうだ。有名人に多いらしい。 そういえば、確か父方の祖父も同じような手相だったことを思い出した。 僕の祖父は決して有名人ではない。 白石の片田舎に生まれ、憲兵として樺太に渡り、終戦後捕虜となってシベリアに抑留さ…

小さな決意

思いがけず、小さな決意の思い出がひょっこりと顔を出した。 正確な時期は分からないが、おそらく妹が生まれた前後、今の息子と同じ6歳頃のことだと思う。何がきっかけで、どういった気持ちでそうなったかもよく覚えていないけれど、確かに自分に誓ったこと…

脳内ROM要フォーマットエリア

僕の頭の中にこびりついている、無駄な記憶を紹介しよう。 「おりづきぎ うろほけせきこ いにほうく てねな」 これは、ドラゴンクエストIの復活の呪文である。 語呂合わせの呪文は週刊少年ジャンプなどで幾つか紹介されていたが、これは何の変哲もない、真面…

春、歩く、歩く、歩く。

東京に来て二年目の春。 ちょいヤバめのプロジェクトを担当し、とにかくクソ忙しい日々だった。終電で帰れれば良い方で、徹夜もよくあった。4月の残業時間は170時間を超え、翌月の給与は課長よりも多かった。(次の年、住民税などの控除額が一気に高くなった…

カエルと手押し原チャリ

本当は、大学生になったら一人暮らしをしてみたかった。ところが、運良く実家から通勤できる大学に合格してしまい、通学を余儀なくされた。 修士への進学が決まり、深夜まで大学に残りセミナーの準備をすることや、急な授業時間の変更などを理由に一人暮らし…

包丁とサンダル

1年ほど前だったと思う。 突然、取引先の部長さんが次週来店するという話が来た。しかも夜にだ。 僕と父は双方の顔を見合わせてビビる。何せ部長である。実質的な指令系統のトップに位置する人だ。しかも、夜に来るという。これは何かある。重大な何かがあ…

おじいちゃんが残してくれたもの

父方の祖父は、マスオさん状態だった。 ウチの店は曽祖父により昭和2年に創業。しかし、末っ子の長男は家督を継がず、長女(つまり僕の祖母)の夫である祖父が屋号を変えて新聞業を継承することになった。祖父は戦時中、樺太で憲兵隊だった。当時、憲兵隊は…

決めろ!温麺シュート!

昨日は、取引先の担当さんと白石市内の割烹・大上(http://r.tabelog.com/miyagi/A0402/A040203/4001982/)にてお食事。大上さんは、数ある白石温麺(うーめん)のお店の中でも特に評判のお店であり、かつご主人が僕の父と同年生ということで度々利用させても…

杜の都は水色に

昨日は午後から仙台で会議を2つ。相変わらずのとんぼ返りで、滞在時間のほとんどは誰かと話したり、誰かの話を聴いたりしている。まあ、仙台にしかいない人と話してるので仙台には来ているのだが、はっきり言って仙台感はゼロだ。小さい頃、仙台というのは…

2009年12月

おばあちゃんへ僕の一番古い記憶は、お母さんの背中から見た、おばあちゃんの家の明かりです。あたりは真っ暗で、水の流れる音が聞こえていました。 僕をおんぶしていたお母さんは、ホッと一息ついて、暖かい光の方に向かって歩きました。 おばあちゃんの家…

1992年9月

ウォームアップのあいだ同じ9区を走る先輩の背中を見続けることで、体中の血が燃えるような緊張が、少し和らぐような気がした。地区大会から県大会へ行けるのは1チームのみ。現在トップを独走するAチームのアンカーの方が、Bチームの僕よりずっとプレッ…

2003年8月

SE生活も2年目に入り、残業と徹夜の生活は終わりそうも無かった。眠い目を擦りながらいつもより早く起床し、シャワーを浴びてヒゲを剃り、スーツに着替えて新幹線に飛び乗った。人でごった返す東京駅は暑く、重い紙袋を抱えて歩くと、体中から汗が吹き出…

2005年5月

4月28日の深夜に破水して以降、陣痛を進めるあらゆる手段がとられてきたが、まだ陣痛は弱いままだった。 ベッドの上で点滴をうける妻の体力もそろそろ限界だった。5月1日朝、ゴールデンウィークを迎えた新宿は静かだった。新宿のJR病院で向かえる三回…

1978年6月

1978年6月12日、その日母は僕を連れて白石市長町の実家にいた。母の実家には大きな台つきのテレビがあり、その上には大分立派な置時計があった。 テレビは、8畳ほどの正方形の茶の間の角に、中央に向けておいてあり、部屋の真ん中にはこたつ付きのち…

1978年1月

1978年1月23日、午後2時43分。 その日は雪がしんしんと降っていたそうだ。前日に陣痛を感じた母は、東北本線白石駅前にあった自宅から徒歩で公立刈田綜合病院に向かった。 途中痛みが激しくなり、歩くのは非常につらかったらしい。 4ヶ月前に祝宴…