Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

別世界感

東京から白石に戻ってきて今年の夏で丸6年。徐々に出張する機会も増えてきて、来年度は6月に広島方面と名古屋、7月に大阪、多分8月に東京だ。大都市ばかりだな。
東京で働いていたころもそここそ出張があった。網走、石川、名古屋、大阪、徳島、沖縄。システムの構築やお客さんとの会議が主なので、町並みや、その土地に住む人々とその生活を感じる機会は少なかった。旅行もあまり行けなかったし、子連れの旅行になるとそういった余裕も無く。別世界感を味わえたのは、せいぜい新婚旅行で行った長野県渋温泉別所温泉くらいかなあ。


学生時代、実は僕は大学でちょっと有名なサークルに所属しており、毎年春と夏に旅行に行っていた。旅行といっても、テントや寝袋を背負って、18切符を持ち、基本的な移動はヒッチハイクという旅行であった。他にもサークル活動はなんというか色々あるのだけれど、その話は別途。
今思うと、あの時ヒッチハイクで旅行しておいて本当に良かったと思う。もちろんお金がかからないということもあるのだけれど、ヒッチハイクで乗せてもらった車の同乗者、あるは通ってくれる道、立ち寄ってくれる場所、それらがとてもその土地ならではのものであり、一般的なツアーや、ガイドブックを片手に友人とレンタカーでは味わえないものだったからだ。一人で見知らぬ土地に投げ出され、暑い中親指を上げ続け、やっと捕まった車の運転手と話をし、昼食や休憩に寄り道してくれて、近道やら遠回りやら田舎道やらを通ってもらい、降りてまた一人になる。いい経験だった。


訛りが強くて、最初から最後まで何を話しているのか分からない場合もあった。一日何十回と繰り返す自己紹介に疲れ果て、相手の聞き間違いを否定せずにいたら、いつの間にか東大医学部所属で、結果開業医の息子だが親を前年に亡くして傷心旅行に来ているという設定になってしまったケースもある。


熊本では、おそらく走り屋であろう若者(といっても当時の僕と同年代だったと思う)の集団に捕まり、リーダー格と思われる黒い車の後部座席に乗った。軽量化のためなのか、座席は無く、むき出しのマットの上にしゃがみ込むように座った。助手席の若者がひたすら話しかけてきて、仙台から来たとか、大学生だとか、ヒッチハイクで旅行しているとか言うとケタケタ笑った。何が面白いのかさっぱり分からなかった。正面に運転席のクラッチペダルやブレーキペダルが見えるのだが、幾つも穴が空いていた。どうやらハンドルもアルミ製だし、ギアレバーもチューンナップされていて、極限まで軽量化している様子が伺えた。しかし、前の二人は缶コーヒーを飲みながら、エアコン吹き出し口に付けたボトルケースに缶やら灰皿やらを乗せていた。軽くすんならコーヒー飲むなやーというツッコミをグッと飲み込んだ。
宮崎で乗せてもらった青いスポーツカーを運転する女性は、「これから広島に行くから、飛ばすよ」と言い、片側1車線の国道を時速100km超でひたすら北上した。サングラスとロングの髪が似合う、おそらく30代の女性なのだが、何の理由でそんなに飛ばすのか理解不能だった。


どこに行っても共通だったのは、ああ、僕が知らないところで、みんなそれぞれそれなりに頑張って生きているんだなあ、という感情だった。


そんな経験を通じて、その土地の印象が心に刻まれ、こうして15年も経つといい思い出になる。時々誰かとの話にふと思い出が蘇ってきて、笑い話になることもある。
もし可能ならば、また、あのような感情を味わいたいなあ。そんな風に思いながら、今年は出張に向かってみたいと思う。(ランニングシューズを忘れずに!)