Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

祖父が残してくれたもの

昨日祖父のことを書いたことで、色々と思い出してしまった。


祖父の通夜。葬儀場で会食が始まり、大学生だった僕は、一足先に祖母を自宅に送り届けて戻ってきた。すると、参列してくださった皆さんと家族は全員会食場に行ってしまい、祖父の棺だけひっそりと本堂に残されていたことが分かった。すぐに会食場へ向かって皆さんに挨拶すべきだったのだが、僕はどうしても、祖父が寂しそうに思えて仕方なかった。
そこで、ガヤガヤしている会食場へ行くことを諦め、本堂のパイプ椅子にそっと腰掛けて祖父と話をした。祖父と二人だけで、ずっと話をした。「直樹、行かなくていいのかい」「いいんだよおじいちゃん」「おじいちゃんのことはいいから行きなさい」「いや、ここの方が落ち着くんだ」


告別式も終盤。最後のお別れということで、みんな一言祖父に声を掛けながら、棺に花を入れていった。僕の番になった。もう僕は涙が止まらなくなっていた。しかし、これだけは言わなくてはいけないと、ずっと考えていた一言を震える声で言った。「また飲もうよ。おじいちゃん」


祖父の棺に火が入ると、参列された方々は別の会食場へ移動し、家族は前倒しの法要へ向かった。僕は相変わらず別動隊で、祖母を自宅に送り届け、店の状況を確認し葬儀場へ戻った。ふと、やはり火葬場に一人残されてしまった祖父が気になってしまい、徒歩で火葬場へ向かった。葬儀場から火葬場までは、徒歩でも数分の距離だ。歩き始めると、後ろから声が聞こえる。母と妹だった。二人も祖父のことが気になり、法要を抜けて出てきたのだ。三人で歩いた。祖父のものと思われる煙が見える。10月にしては暖かい日で、穏やかな日差しに温められた喪服を通じて、少し汗ばむ程の陽気だった。


祖父が夢に出てきてくれたことがある。親類の法事のようなシチュエーションで、祖父がテーブルに座っているのだ。そして、僕に一緒に酒を飲もうと誘ってくれていた。僕は夢だと分かっていたけれど、祖父と一緒に酒を飲めることが嬉しくて嬉しくて、夢の中なのに声をあげて泣いた。祖父の向かい側に座って杯を手にしたのだが、涙と嗚咽が止まらず、顔を見上げて祖父の顔を見ることができなかった。それでも、祖父があたたかい微笑みを携えて、泣いている僕を優しく見守っているのが良く分かった。


人は何のために生きるのだろうと、みんな考えたことがあると思う。僕だって考えたことがあるし、今でも考えるけれど、そんなの答えなんて無い。
祖父は何を考えていたのか、今となっては何も分からない。意識していたのかさえ疑問だ。孫の目からは、酒以外に生きる理由は無いように見えた。でも、今こうして僕の手からは祖父についての言葉がつらつらと湧き出ている。祖父のことを考えて涙し、そして自分の命の尊さをしみじみと感じる。もちろん、祖父はそうありたいとは露ほども思っていなかったはずだ。誠心誠意、不器用だけれど、孫である僕を愛していただけのことだ。


震災でたまたま命を失わなかった僕は、一体なぜここにこうして生きているのだろう。その答えは、もしかすると自分が死んでずっと経ってからなのかも知れない。それはきっと、文字や2進数で記録されたデータではなく、誰かの記憶や心から湧き出てくるものだ。僕が愛した誰かの記憶から、こんこんと湧き出てくるものだ。
何のことはない、僕は誰かを愛するために生きているのだ。