Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

決めろ!温麺シュート!

昨日は、取引先の担当さんと白石市内の割烹・大上(http://r.tabelog.com/miyagi/A0402/A040203/4001982/)にてお食事。大上さんは、数ある白石温麺(うーめん)のお店の中でも特に評判のお店であり、かつご主人が僕の父と同年生ということで度々利用させてもらっている。

子どもの話から発展して、サッカーの話となった。なんと、カウンターに立たれていた若旦那、取引先の担当さん、僕、の三人ともサッカーの経験者であり、担当さんと僕の子どももサッカーをやっていたのだ。僕らの年代で、ここまでサッカー経験者が集うというのはあまり経験がない。そして担当さんの娘さんが女子サッカーチームに入っていることを聞き、時代は変わったのだなあ、としみじみ思った。

今から20年ほど前、少年のスポーツといえば野球だった。もちろん地域差はあって、当時でも静岡とか広島あたりではサッカーがメジャーだったそうな。しかし、こと白石においては言わずもがな。クラスの中で目立っているようなスポーツ万能の友達の何人かは少年野球に入っており、勝ち組に属していたのは間違いない。そういう友達は、サッカーをやっても本当に上手なのだ。
ただ、「キャプテン翼」が少年ジャンプで人気を博すようになって、徐々にサッカーが市民権を得てきていたのも確か。休み時間や放課後は、間延びする野球よりはサッカーをやっていたことの方が多かった気がする。

小学5年になり、学校で1枚のプリントが配られた。それは、サッカースポーツ少年団員募集のお知らせだった。小児喘息で体が弱く、ずっと頭でっかちの弱虫だった僕は、何故かその時一念発起し、少年団の門を叩いたのだった。野球では相手にならないけれど、サッカーなら見返せるんじゃないか、そう思ったのだ。
日曜日にグランドへ行って周りを見ると、少年野球には入っていなかったものの運動神経が良い友達ばかりだった。見たことの無い友達は、隣の小学校に通う小学生だった。コーチの先生は人間とは思えないほど足が太く、怖そうに見えた。
毎週日曜の練習は、面倒になって時々ズル休みした。翌日に友達から休んだことを指摘されると、きまって体調が悪かったと言い訳をし、心苦しい思いをした。従ってそれほど上手にもなれず、何度か試合にも出たが、かなりの確率で補欠だった。
一度だけ、公式戦で点を決めたことがある。トーナメント戦の準決勝、1点をリードされた後半、右からのセンタリングに合わせて同点ゴールを決めた。みんなに抱きつかれ、頭を撫でられた。とても嬉しかった。残念ながら最終的にその試合は負けてしまうのだが、チームのみんなから祝福されたこの記憶は、僕の大切な宝物だ。この宝物は、その後どれだけ僕の勇気になってくれただろう。
最近になって、僕らはこの少年団の第2期生だったことを知る。このチームは、この地で子どもたちにサッカーの楽しさを伝えたい、そう思った先生やコーチの熱い思いの賜物だったのだ。チームは僕らが卒業した後も順調に成長し、遂に卒業生達が中学で県代表になるという快挙も成し遂げている。

今や、サッカーはむしろ野球よりもメジャーなスポーツになった。サッカーチームもあちこちにある。そして、サッカーは昔よりもずっと、運動神経に恵まれた少年達の第一希望になっていることだろう。身体的に恵まれた少年達が多く入ったこととチームが強くなったことは、まず無関係ではないだろう。

逆に考えれば、身体的に恵まれなかった少年達にとって、サッカーを通じて自分に自信を持つチャンスが減ったことも意味する。僕が少年野球を選ばなかったように、気後れする子どもたちも多いだろう。あるいは、そういった少年達の受け皿としてゲームが存在しているのかも知れない。

そんなわけで、当時少年団で一緒に汗をかいた友達や先輩からサッカーに誘われている。やってみたい気持ちは満点だが、この腹とこの運動不足をどうにかしてからじゃないと、下手すりゃ入院しちゃうんじゃないか、と戦々恐々である。