Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

杜の都は水色に

昨日は午後から仙台で会議を2つ。

相変わらずのとんぼ返りで、滞在時間のほとんどは誰かと話したり、誰かの話を聴いたりしている。まあ、仙台にしかいない人と話してるので仙台には来ているのだが、はっきり言って仙台感はゼロだ。

小さい頃、仙台というのは異世界だった。自分の存在の小ささを否応無しに感じる、大都市だった。いつから、仙台をこんな風に単なる場所としてしか感じられなくなったんだろう。それが大人になったことの証明だとすると悲しい。

両親と仙台に来たことがある。父親と親子水入らずで出掛けた、唯一の記憶だ。妹もまだ生まれていないから、おそらく3歳か4歳ぐらい。両親の間に入って手をつなぎ、ぶら下がりながら街を歩いた。とても楽しく、興奮していたのを憶えている。

小学校高学年、妹のピアノの発表会を観に来た。母親は緊張する妹に掛かりきりだし、母親と妹と一緒にいるのはやけに恥ずかしかった。「魔女の宅急便」を観にも来た。映画よりも、母親や妹の存在がうっとおしかった。

高校生になると、一人で仙台を歩いた。高校生の小遣いでは、せいぜい古着屋くらいしか行くところは無かった。カセット・ウォークマンからドリカムが流れていた。一度、男女4人でデートをしたことがある。確かウィンドウショッピングの後ボーリングをしたはずだが、女の子の前で自分がちゃんと仙台を知った風に行動できているかばかりが気になっていた。

大学になって、飲み会で国分町へ行き、バイト代を持ってブランドショップを巡り、郊外にアパートを借りるようになって初めて、仙台が自分の街になったような気がした。高校までの自分と仙台を振り返ると、その思い出は「限りなく透明に近いブルーのフィルター」がかかっているように感じた。明らかに当時読んでいた本に影響を受けており、全く恥ずかしい限りである。

そんなわけで、今でも仙台の街並みを思い出すたびに、母親や妹を恥ずかしく思う気持ちや、ドリカムの曲や、背伸びしてつけた香水の匂いや、買ったばかりのGジャンなんかを思い出す。そして相変わらずキャアアアアとなっていたりするので、そんな時は放っておいていただければ幸いである。