Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

2005年5月

4月28日の深夜に破水して以降、陣痛を進めるあらゆる手段がとられてきたが、まだ陣痛は弱いままだった。
ベッドの上で点滴をうける妻の体力もそろそろ限界だった。

5月1日朝、ゴールデンウィークを迎えた新宿は静かだった。新宿のJR病院で向かえる三回目の朝、「今日の午前中に産気づかなければ切る」という冷静な判断を聞くことになった。
子どもの鼓動は、それでもなお、強く響いている。

陣痛促進剤が明らかに効いてきたのは、11時をまわったころだった。
妻とLDRに入る。僕は備え付けのCDラジカセにボブ・ディランをセットした。

妻から、こんな大きな声を聞いたのは初めてだった。僕の手を握る力。どこにそんな力が残っていたのだろう。
長い時間をかけて、妻は息子を出産した。
黄色いタオルで妻の額を拭く。
生まれたばかりの息子を胸に乗せた妻を撮ったが、後日改めて見ると、妻の憔悴っぷりが良く分かる。

生まれた息子は、泣かなかった。
看護士が足の裏を指ではじくと、一瞬泣く。だが、その後は両目をぱっちり見開いてあたりを観察していた。
これが僕の生まれた世界だ、そう考えているようだった。