Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

2003年8月

SE生活も2年目に入り、残業と徹夜の生活は終わりそうも無かった。

眠い目を擦りながらいつもより早く起床し、シャワーを浴びてヒゲを剃り、スーツに着替えて新幹線に飛び乗った。人でごった返す東京駅は暑く、重い紙袋を抱えて歩くと、体中から汗が吹き出した。新幹線の中でYシャツになり、車内の冷房で汗を冷やす。2時間、たっぷり眠ろうとしたけれどなかなか眠れなかった。

半年前から担当していたプロジェクトは、協力会社5社を統括する、部内でも大きなプロジェクトだった。1年目にしてサブリーダーを任されたものの、進捗は常にマイナスであり、精神的にも厳しい状況だった。
そんな中、8月2日の土曜日だけは休ませて欲しい、と上司に嘆願した。その日は、そのときの僕にとって本当に大切な日だったのだ。

プロジェクトが始まる直前、部長からサブリーダー就任の話を聞くほんの2日前、僕はある女の子との6年3ヶ月に及ぶ関係に終止符を打った。夏に式を挙げることになっていたから、婚約破棄ということになる。
クリスマス以来、久しぶりに会った彼女はずっと黙って下を向いていて、僕は何か機嫌を損ねたんじゃないかと思って、できるだけ楽しい話題をしきりに話しかけていた。1月末の僕の誕生日にできなかったパーティをする予定で、部屋に着くと彼女は手料理をつくり始めた。ちょうど妹が大学受験で東京に来た日で、ウィークリーマンションへの入居を手伝って欲しい、と電話があった。僕は暗い彼女に、一緒に手伝おうと誘ってみた。すると、堰を切ったように彼女は泣き出した。

その半年前、彼女はある男性と寝た。
そして12月に入ってから、また別の男性とも寝ていた。

どちらも同じ職場の男性で、僕も2人とも会ったことがある。2人目の男性との関係は続いていた。僕の誕生日の前日、徹夜作業の合間を縫って会社から彼女に電話を掛けた時、ちょうど彼女はホテルにいたのだ。

寂しかったんだと思う。
仙台で母親と二人で暮らす彼女にとって、東京で残業・徹夜を繰り返す連絡の無い僕は、心の空白を埋める存在ではなかった。そしてきっとこれからも、彼女の心を満たすことはできないだろうと悟った。別れを切り出したのは僕だから、婚約を破棄したのは、実際は僕だ。

仙台は曇り空だったけれど、8月はさすがに暑い。
タクシーに乗って彼女の自宅へ向かう。紙袋には、僕の部屋に置いてあった部屋着やスニーカーが入っていた。彼女の玄関先に紙袋を置き、少し迷ってから思い直してメモを書いた。
「僕には捨てることができないので返します」

それから、本当ならその日式を挙げるはずだった教会へ向かった。教会の隣に事務所があって、結婚予定者と偽って内部を見せてもらった。婚約予定者の欄には、申し訳ないけれど会社の同期の名前を使わせてもらった。

帰りはバスに乗ることにし、最寄のバス停まで歩いた。ジャケットを脱いでネクタイを弛めると、僕はやっと一人になれた気がした。

帰りの新幹線が大宮を通過するときに花火が見えた。事情を知る会社の同期から「どうだった?」とメールがあった。「今、花火が見えるよ」とメールを返すと、とてもホッとして、ようやく眠気がやってきた。