Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

夏のぜんざい

愛する子どもを突然失ってしまった人に、僕は何も言えなかった。まちも仕事も失った人にも、僕は何も言えなかった。悲しみに打ちひしがれている人に、僕らは一体どう接したらよいのだろう。どうすれば、ひとときのやすらぎや希望を与えることができるだろう。


入社1年目の冬、とてもとても辛い経験をした。今振り返ると、津波で家族を失ったり原発事故で故郷を追われたりといったことに比べればずっと生易しい経験だったけれど、それでも当時の僕はとても落胆し力を失ってしまった。毎日無気力に過ごし、家に帰ってビールを口にしては涙を流した。週末は部屋で過ごし、食料を買いにさえ外へ出たくなかった。そんな生活は、春が通り過ぎ、夏が近づいても続いていた。
そんなある日曜日、同期入社の友人から突然電話があった。学生時代野球で鳴らした彼は見た目も逞しく、でも穏やかで優しい男だった。
「何だか甘いもの食べたくなってさ。ヤツくん、銀座に来ない?一人で食べると何だか変じゃんw」
僕はプッと吹き出してしまった。彼が甘いもの好きなのは知っていたけれど、確かにゴツイ彼が一人でスイーツを食べる姿を想像すると滑稽だった。僕が合流したところでむさ苦しさが上がるだけではないかと思ったけれど、僕はすぐに準備をして京浜東北線の駅へ向かった。雨の振りそうな天気だったので、傘を持って出かけた。


銀座で待ち合わせた彼は、はにかんだ笑顔を見せてくれた。「行ってみたい店があってさ。ぜんざいのお店なんだけど、ヤツくん好き?」ぜんざい?彼がネットや雑誌を使って甘味処を探している姿を想像してまた吹き出してしまった。一緒に店内に入り、涼しい店内で冷たいぜんざいを食べた。彼はとても嬉しそうに食べていた。食べながら、お互いの部署のことやそれぞれの地元のことなど、他愛もない話をした。彼は、一度飲んだときに僕の話を聞いていたから、僕が元気をなくしていることを知っていたけれど、そんな話はカケラもなかった。


食べ終わると、待ち合わせた駅までゆっくりと歩き、そのままじゃあねと別れた。結局雨は降らなかった。傘は一度も開くこと無く、そのまま持ってつり革につかまった。どんよりとした風景を見ながら、何だかフッと笑ってしまった。25歳の男二人が、ぜんざいを食べるためだけにわざわざ銀座で待ち合わせたのだ。まるで女子中高生みたいだ。
不思議と、元気が湧いてくるような気がした。彼は、ただただ僕に寄り添ってくれたのだ。


僕は、そんな風に誰かに寄り添うことができるだろうか。悲しみにくれる人に対して、ただただ隣を歩くことができるだろうか。
いつか、彼にもう一度逢いたい。もし彼が何かに悩んでいるのなら、今度は僕が寄り添ってあげるのだ。