Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

記すべき思い出

業界青年部の総会は初めてだった。


2009年10月だから、1年と8ヶ月前。その年の5月に、僕は初めて業界青年部の皆さんと顔を合わせたばかりだった。右も左も分からぬまま、わずかに親交のあった先輩方に教えを乞う日々だった。もちろん総会も初めてだし、松島の旅館なんて本当に初めての経験だった。


挙句に、嫁さんが妊娠3ヶ月で悪阻のピーク。上の子を両親に預け、総会が終われば急ぎ松島から白石に飛んで帰り、息子の世話と嫁さんの世話をしなければいけなかった。新人であるにも関わらず、多くの先輩方との交流の機会を逃して家に帰ってしまうことにとても引け目を感じていた。


ひと通りの会議が終わり、宴会までしばらく時間があった。途中で帰宅するメンバーのために用意された控え室に入ると、当日卒業を迎える2人の先輩がいた。僕は緊張する心を何とか持ち上げて、自己紹介と早めに帰宅する理由を話した。先輩方はにこやかに聞いてくださり、僕に対して穏やかに「頑張ってね」と言ってくれた。
今思えば、もう少しこの先輩方と話しておけばよかった。どんな思いでいつも仕事に向かっているのか、感じておけばよかった。


何故なら、その先輩の一人とは、もう永遠に話ができないからだ。


河北新報深沼販売所所長、中島英一さん。享年46歳。見つかった遺体にたすき掛けされていたバッグには、会計を務める業界団体の通帳が入っていたという。宮城県内の河北新報売店所長の中で、震災による唯一の犠牲者だった。心からご冥福を祈りたい。