Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

缶とラジカセ

小さい頃にジッと見ていたもの。


おもちゃを入れていた缶。古き良き時代のモダンな服装の若い男女が街並みの中をダンスしているような、そんな模様だった。僕は寝そべって、ジッとその缶の模様を眺めている。缶の冷たさが気持ちいい。熱があって横になっていたのかも知れない。何を入れていたのかも思い出せない。ただ、その模様だけがやけに印象にある。


ラジカセのスピーカー。思えば古いラジカセだった。黒いボディに1つだけカセットデッキが付いていた。スピーカーは一つで、まるでダーツの的のように放射線状にアルミの線が入っていた。その隙間から垣間見える部分は黒くて暗くて何も見えなかった。アンテナが付いていて、持つ所もあったし、やけにたくさんの単一電池が必要ですごく重かった。テープを再生すると、スピーカーの黒い部分から音が聞こえた。僕は、中で誰かが歌ったり演奏したりしているのだと思い、黒い部分にずっと目を凝らしていた。


古い天井。木造の古い家だった。時々虫も湧いたし、雨漏りもしたし、天井だってお世辞にも綺麗とは言えない。雨漏りのせいかところどころに不思議な模様ができていて、僕はずっとそれを眺めていた。人間の顔だったり、何かモノに見えたことは無かった。ただただ、茶色い天井に濃淡が広がっているだけだった。


母親の泣く姿。時々、母親は泣いていた。色々な理由があっただろうし、今思えばそれほど深刻じゃない場合(例えば泣ける映画や本を見たとか)もあったと思う。でも、僕にとってはまるっきりの非日常で、目の前の母親がとても弱く見えた。どうすれば良いのか分からず、ジッと眺めていた。泣きやんで欲しいと願い、ジッと待っていた。何故か、僕が泣いてはいけないような気がしていた。


今、息子や娘が眺めているものは何だろう。散らかったリビングや部屋にひっそりと置いてある線香立て、出しっ放しの扇風機や玄関に並ぶ灯油タンク。
もしかしたら、腰を痛めて顔をしかめる僕。


そうか。痛くても、やせ我慢して笑おうとしている父親になろう。