Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

カーテンの待つ部屋

日曜は掃除デイなのだが、今日は久々に寝室のカーテンを洗ってみた。気持ちいいーー。
冬の間は洗っても乾かなそうだし、ここにきて雨が降ってたからなー(言い訳)


カーテンを洗うことには、何だか妙な思い入れがある。原点は、村上春樹の「ノルウェイの森」だ。
この小説の中で、主人公は寮で一風変わったルームメイトと過ごすことになる。いつも学生服を来て、毎朝きっちり6時に起きてラジオ体操をし、吃音症で、真面目に地図学を学ぶ学生だった。「突撃隊」とあだ名されたこの学生は、ゴミが散乱するカオスな寮にあって、病的に潔癖症だった。いつも部屋をピカピカにし、布団を干し、一ヶ月に一回はカーテンすら洗った。主人公は、他の部屋の寮生にカーテンのことを話すのだが、一向に信じてもらえない。みんな、カーテンを洗う物だとは考えもつかなかったのだ。
実際この小説を読むまでは、僕もカーテンを洗う物だとは思っていなかった。


大学院に進学しアパートを借りた。初めての一人暮らしは嬉しかったけれど、程なく掃除の面倒臭さに気づき、親の苦労に感謝することになった。
しばらく掃除をせずにいると、部屋中に散らばった埃が僕の気管を直撃。何年かぶりに発症した喘息の発作で苦しい思いをしてからは、一週間に一回は掃除機をかけざるを得ない状況となった。夏も冬も、二日酔いでも久しぶりの休みでも、まずは掃除だ。面倒で仕方が無かったけれど、喘息が苦しいのだからやむを得ない。
就職して東京に引っ越しても、掃除のペースは変わらなかった。一週間に一度、日曜の午前中は掃除の時間だった。


ある日、同期の女の子と話していたら、ふとカーテンの話になった。「カーテンの洗濯なんて簡単だよー。洗濯したら、そのまま掛けておけばいいんだもん」
僕は突撃隊のことを思い出した。一ヶ月に一回はカーテンを洗う突撃隊。寮の誰もが信じなかった、カーテンの洗濯。


京浜東北線沿いのマンションの一室で、カーテンを洗った。まだ乾いていないカーテンをレールに取り付けると、洗剤の香りが部屋中に広がった。
しばらく香りを楽しんだ後、カーテンをしめてマンションを出た。外は、のんびりしたいつも通りの日曜の午後だった。帰ってきたときの清々しい部屋を想像し、いつもよりも幾分速く自転車を漕いだ。