Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

遊びの天才



午前中、久しぶりに子どもたちを連れて近くの公園に行ってみた。天気は良いけれど暑すぎるわけでもなく、体を動かすには絶好の日和だったし、娘が心地良い昼寝を得るためにも、楽しく疲れることができる公園は相変わらず最高の場所だ。
そして、改めて「子どもたちは遊びの天才」と納得する。公園に解き放った瞬間、息子はあっという間に視界から消え、同年代の子と友達になり、鬼ごっこを始めてしまった。娘は、歩き始めてから初めて来る公園に少し躊躇し、恐る恐る様子を伺っていた。一つ一つの遊具などについて、自分が遊べるものか、どう関わるかを確かめていた。遊具を一回りしてある程度の遊び方と楽しみ方を理解したあと、砂や石といったその他の物体についても検証を始めた。触った瞬間の感触、握ったとき、落としたときの砂や石の動きを良く観察していた。きっと本人は観察しているという自覚は無いと思う。そうやって楽しみながら自分の身の回りの世界を理解していくのだ。


娘が両手を砂まみれにして遊んでいる様子を見て、放射性セシウムがその手に付着している事実を前に、しばし考えていた。例え微量でも被ばくには間違いないわけで、少しでもリスクを減らしてあげたいと考える方もいるだろうし、あるいはどの程度の量が付着しているなど考えることもなく、震災前と変わらず気にしない方もいるだろう。僕とて気にしないわけではない。砂いじりが一息つくと、ひとまず公衆トイレの水道で娘の手を洗った。もちろんすぐにまた石やら砂やらを触ってしまうのだけれど、それがまた一息ついたらまた洗った。放射性セシウムに関してだけではなく、様々な細菌やウィルスへの対抗策としても、手の洗浄は欠かせない行動だし、習慣付けることはとても大切だと思っているからだ。しかし、だからといって砂いじりをやめさせたり、あるいは子どもたちにマスクを着用させるということまではしない。砂いじりはとても楽しい遊びだし、それによって学ぶこともたくさんある。マスクは他の子もしていない上に暑苦しい。子どもたちにとって最も大切なのは、伸び伸びと自分の興味を発散させることだと思う。それが阻害されたときの心理的なストレスや精神的な成長に与える影響の方が、よっぽど懸念すべき点だろうと考えているからだ。もちろん、できるだけ健康的なリスクが無い環境を提供するべきなのは言うまでもないけれど。




午後は天気も悪くなってきたので、近くの地域センターで過ごす。ここにも、午前中の公園と同じくらいの親子連れがいた。特に、幼稚園に入る前と思われる小さい子どもが多い。屋内で遊んだ方が被ばくのリスクが小さいのは明らかだし、そうした選択肢が整っているのは幸せなことなのかも知れない。


相変わらず、息子と娘はあっという間に自分の楽しみ方を発見し、心ゆくまで自分を発散していた。遊びの天才か。僕もそうだったハズだよな。秋だし、また子どもたちと外で遊ぼう。次はどんな公園に連れて行ってみようかな。近所にある色々な公園を頭の中でリストアップし、そこで元気に転げまわる子どもたちを想像してはニンマリしていた。