Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

子どもと過ごすこと


子どもと一日中一緒に過ごすことよりも、ハッキリ言って仕事の方がずっと楽だ。
これはもしかすると、子どもが生まれる頃あたりから僕は比較的自分のペースで仕事のスケジュールを立てて進めるような立場であり続けており、そんな恵まれた環境が生み出す特異な傾向かも知れない。白石にいると、仕事というものは辛くて大変で嫌なものであり、子どもと過ごすことや休日のゴルフや毎晩のお酒にだけ楽しみを見出すことが普通だというような空気を感じることがある。なので、「子どもと過ごす方が辛い」という発言は、ここ白石においてはややタブーな感がある。


しかし、僕にとって仕事のほうがよっぽど楽だというのは紛れも無い事実。但し、仕事と育児に共通して言えることは、「どちらも楽しい」ということだ。仕事も楽しい、子どもと過ごすことも楽しい。ただ、比較してみるとやっぱり子どもと過ごす方が辛いということだ。
その一番の要因は、子どものペースに合わせなくてはいけないという点にある。遊びたいときと眠いとき、食べたいときや食べたくないとき、何でもオモシロイときとツマラナイとき。それが完全に僕の管理外のところで想定外に発生しては消えていく。傾向を読むことにチャレンジしたこともあったけれど、程なく諦めた。子ども自身も分かっていないのだ。僕らが分かることではない。ましてや、そんな感情をコントロールするなど不可能と言っていい。少なくとも、親的な強権を発動して無理やり軌道を変えるべきものではない。
いつしか、僕は子どもの感情に身を委ねることにした。親の期待とまるで反することも多々ある。わざわざ頑張って連れていった水族館で、脇にただ背景として置いてある観葉植物の土いじりに夢中になっても、昼食後の午睡時間に全く眠そうなそぶりを見せずに元気いっぱい遊びまわり、夕方パタリと眠ってしまい夜なかなか寝付けなくなっても、それをただ受け入れる。それが子どもと健康的に過ごすための真髄だろう。
それだけに、けっこう疲れてしまうのだ。


こうして、未だその影すらも見えないゴールを目指し、子どもたちのささやかな心の動きにそっと寄り添い、そして一歩一歩自分の仕事を見出しながら形作っていくことが、時に果てしなく無謀なチャレンジに思えることもある。けれど、僕の心の奥底で、そんな大切な一日一日の積み重ねが、いつしか輝く宝石となって眼前に現れることを強く信じている。昨日はもう過ぎ去ってしまった。明日はまだ未知のままだ。僕の前に今がある。今を噛み締めて歩もう。ゆっくりゆっくりと、未来へ繋がるほのかな温もりを、頭ではなく心で感じ取るのだ。