Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

ブログについて微妙に総括してみた

何の区切りでもないけれど、ここでひとまずブログについて改めてみる。


今年の元旦から正式にスタートしたこのブログは、時々欠落することがあるものの(そして欠落した日の多くが泥酔状態w)、大まかにはほぼ毎日続けられたと思う。残り2ヶ月弱だけれど、ブログを書く生活が普通になってきつつあるし、まだまだ続けられる自信はある。ブログを始めるにあたり、1年という期間を当面の目標としていた。1年続けられれば、きっと何年でも続けられる。1年続けることができなかったり、ギリギリ苦しみながら続けるのであれば、僕にとってブログとはそういうものということだ。意外にも、飽きることもなく、ネタにつきることもなく、楽しみながら続けることができている。


当初は、僕の過去の出来事や常々感じていたことを吐き出す場所になった。TwitterでもFacebookでもなく、ブログという形で長文となりうるエピソードや考えを記していくことは、ブログの導入としては非常に良かったと自分でも思っている。
そして震災だ。震災のエピソードは、今でも時折論旨の中心に据えている。あまりにも巨大であまりにも強烈な体験だった。今でも、思い出すたびに新しい発見や考え方に触れることがある。日を追うに連れ、周囲の人々から様々な体験を聞く機会が増え、その度に自分の考えを軌道修正しながらブログに書き記している。
しかし、このブログの実に7割近くは、子どもたちとの生活について書かれたと言っていい。震災とテーマが重なることもままある。自分の過去の記憶と重なることもある。「元SEの新聞屋が、蔵王の麓で子どもたちと生きる毎日」に間違いはなかったわけだ。


こうしていつものように薄っぺらい内容を、指が動くままに文として残すことに、果たしてどんな意味があるのだろう。実は、それについてはあまり考えたことがなかった。いつか息子が読むかも知れないとか、友人や知人に関心を寄せて欲しいとか、そういったことにほぼ無頓着だったことに今更ながらびっくりする。はてなダイヤリーの標準機能にはアクセスカウンターやアクセス解析ツールが装備されていないため、日々どの程度の来訪者がいるのか見当もつかない。あえて言えば、興味もそれほどない。訪れた人の数を数字でカウントすることにあまり意味を感じない。それよりも、「いいね!」ボタンや「+1」ボタンをクリックするまで深く気に入ってくれた方がずっと嬉しい。「100万人に伝えるのではなく、100人に伝える」ってね。


僕が、僕自身のために書き綴る子どもたちとの生活。あと2ヶ月で1年。1年を迎えることで、もしかするとまた新しい世界を見ることができるかも知れない。