Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

HotelとかアカギレとかPaperとか情報とか


無いぞ無いぞ無いぞ無いぞ!Michelle Branchの"Hotel Paper"がナーイ!
ウロウロ彷徨っている間に、そういえばアカギレが辛いことを思い出してハンドクリームなんかを購入してしまい、「俺は何しに仙台まで来てんねん」とやるせなくなる33歳・冬。


そう、仙台へは、会議のために来ていたのであった。


震災で、新聞が見直されているという言い方をされることがある。停電になりTVも携帯電話も使えない中、新聞がそのアナログさを生かし情報源としての役割を大いに果たしたからだ。間違いは無い。全員ではなくても、新聞も必要だねと感じた人もいたのだろう。
しかし、もう少し広い視点で見れば次のようなことが言えると思う。
「震災後、情報に関する意識が変化した」
すなわち、情報の必要性を痛感しただけではなく、情報の偏りや間違った情報への対処、局所的な情報を得る手段、そういったものへの関心が非常に高まったということだ。様々なデマや憶測が飛び交ったであろう震災直後、その蚊帳の外にいた被災地。必要な人に、必要な情報が届かない。あるいは、間違った情報や偏った情報に踊らされた弱い立場の人々。当事者の言葉はとても重いけれど、逆に言えば大局が見えない中での局所的な見方に限られている。全体を俯瞰することもとても重要だけれど、現場の人々と大きな距離感を生み出すことも否定できない。


技術の進歩により、デジタル化された情報の通信・蓄積・表現・閲覧についてはほとんどコストをかけずに実現できるようになった。私たちは、現場の人間がその命を守り、明日への一歩を踏み出し、様々な問題を解決するために必要な情報をジャストミートに提供できる仕組みをつくらなければならない。それは、災害時にのみ使われる慣れないシステムでは意味が無い。常に使い、楽しく、様々な複合的メリットを感じさせる仕組みでないといけない。


実に難しい課題だ。でも僕らがつくらなければ、きっと僕らの子どもたちを守れない。30年後に必ずやってくる地震のために、つくらなければならない。時間をかけ、ゆっくりと考える。仲間をつくり、話し合い、それぞれに意見を戦わせて考える。


さて、少し考えてみよう。音楽でも聴きながら。(うおおおおおHotel Paper聴きてえ!)