Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

文Bunブーン

今日は職場で娘と一緒だ。保育園に蔓延した手足口病に罹患してしまったからだ。湿疹が出ている手・足・口元を見ると痛々しい。物を食べると時々「痛い」と言う。大好きなミカンも食べられない。口の中にも出ているのだろう。かわいそうに。熱が無く、物を食べられるようなら登園は可能だそうだ。明日は大丈夫かなあ。困った困った。


ブログを書く時間が短くなってきた。文章自体も「短くても良いのだ」と自分が納得できるようになってきたので、不必要に長くすることもない。その日伝えたいことが書ききれればそれでおしまい。ところが、振り返って文章を読んでみるとそのボキャブラリーの貧困さにつくづく嫌になる。学生時代に読書を怠ったのが原因だと思う。一時期貪るように読んだけれど、一度読むことに辛さを覚えたら、何となくサボるようになってしまった。小説の世界には、中毒のように惹かれることが無かったのかも知れない。僕の心の弱さを表しているようだ。


「感情や考えといった抽象的なものを文章で表現する」という点において、小説を数多く読むことはその表現の豊かさに大いに役立つはずだ。ビジネス書や評論なども読書という意味では悪くないとは思うけれど、より抽象的な物語を作家それぞれの個性的な表現で書かれる小説の方が、より多様な表現を学べるのではないかと思う。文章を書くということは、鉛筆にせよキーボードにせよ心のなかの多次元的な世界を2次元の、しかも文字という記号に表すわけで、映画とか演劇ではなく、やはり文章そのものが最高の教科書なのだと思う。


ということで、保育園を休んだ娘に1日中でも絵本を読んであげたい気持ちは満々なのだが、悲しくもこれから外出である。いい子にしてるんだぞ!娘よ!