Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

いつか大空へ羽ばたくために、今日をいかにして過ごすかについて

昨夜嫁さんと話していて気づいたのだけれど、社会を生き抜くための能力・スキルに関する成長の仕方が、若い頃、すなわち20代あたりから比べて大分変わってきているように感じる。
今現在でも、まだまだ成長している実感がある。数年というスパンで見れば、別人のように考え方や対人スキルなどが向上している。もちろん、学生から社会人となり見るもの全て初めてだった20代半ばあたりの成長度からすれば、その勢いは幾分減ってはいる。しかし、リーマン・ショックをきっかけとした世界的な不況、日本の少子高齢化と経済の減退、そして極めつけは東日本大震災という環境の変化がめまぐるしく、そのたびに多くの人に会い、新しい考え方に触れ、悩み苦しみ、そしてしばらく経過したあとに自分が成長することによって何とか乗り越えてきたことを実感するのだ。


20代の頃は、良い意味で自分というものが確立していなかった。影響力のある人物や書籍などに出会うと、コロリと傾倒した。それほど抵抗なく自分を変化させることができた。それにより期待した結果を得ることは少なかったものの、そうして自分を変え新しい環境への適応を模索することにより、右肩上がりの成長を果たすことができた。昨日の自分よりも今の自分の方が明らかに進んでいた。
もちろん、変わっていたと思っていただけで、今思い返すと根本的なことは何も変わっていない。成長したと感じていたことがまるっきり勘違いだったり、自分が苦手だと思っていたことがいつしか強みになってしまったりした。それは若さ故の、決断の先に結果が見えないという不確定性により導かれた結果だった。ある面を受け入れ、ある面は拒否した。しかし結局のところ、受け入れるしかないことに気づくのだった。


一方、30代の半ばを迎えようとする今、そんな右肩上がりな成長はなかなかできなくなった。ジリジリと悩み苦しむ時期が長い。その期間、もちろん大きな変化は無く、この苦しさが開放される日がいつになるのかと、うなだれる日も少なくない。しかし、そんな苦しい時期を我慢し、少しでも解決しようとあれこれ考え、悩みぬいた末にフッと楽になる瞬間が来る。穏やかな平行線が続いたあとに、急激な上昇がやってくるのだ。新しい出会いや環境の変化がそのきっかけとなる時もある。振り返れば、苦しい期間に耐えに耐えて積み重ねた1日1日が、一気に花開き世界を変える自らの成長の糧となっていることに気づくのだった。


僕らも、幾らか経験してきている。ある人は幾つかの職場を渡り歩き、あるいは幾つかの土地に住み、数々の出会いと別れを繰り返し、揺るがない確固とした信念に少しずつ近づきつつある。若い頃のように、そんなにコロコロ自分を変えてしまうことはできない。だからこそ時間がかかる。自分が納得した、信念に沿った解決方法が見つかるまで時間がかかる。しかし見つけたとき、それまで苦しさに耐えた日々は決して無駄にはならず、大空へ羽ばたく翼の羽の1枚1枚となって自分を上へと押し上げるのである。


今、苦しい。思うように進めることができず焦る。色々な人から心ない言葉を受けて悩む。自分の時間が取れない。かといって仕事が好転する兆しもない。
だけどきっと、今は積み重ねる時期なのだと思う。いつかここから解放されるとき、今日の一日が僕を必ずや上へと押し上げるだろう。そして気づくのだ。「あの辛い日々が一番幸せだったんだ」と。