Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

東京フラッシュバック


東北自動車道 上河内SA(上り/東京方面)レストランにて



東京都八王子市 妻の実家にて



東京都調布市 調布アーバンホテル301号室にて



東京都調布市 調布アーバンホテル1Fレストラン前にて



東京都板橋区 妻の祖父母宅にて



東京都調布市 居酒屋土風炉調布店にて



東京都調布市 調布アーバンホテル301号室にて(息子)



埼玉県東武動物公園 園内バス前にて



東北自動車道 那須高原SA(下り/仙台方面)にて



宮城県白石市 自宅カレンダー前にて


晦日から元旦朝にかけての仕事を終え、クタクタになってベッドに倒れこんだのは元旦のお昼前。そのまま夕方まで爆睡したのだが、起きると腰のあたりに不穏な重み(汗)。翌日からの長時間運転を考え、大事にしてきた腰だったのだが、元旦の作業でいとも簡単に疲れを抱えてしまった。ええい、諦めてたまるかっ、と、ボルタレンテープをベタベタ貼る。
翌日からは快晴!一路東北自動車道を南下する。途中事故渋滞や予想外の箱根駅伝渋滞に遭遇し到着時刻は予定より2時間遅れ(涙)。でも、とにかく大切なのは無事故で到着することだと自らに言い聞かせてハンドルを握る。アクセルやブレーキの踏み方、車線変更時の目視確認、スピードの加減や坂道の傾斜角度、カーブの半径、そんなところにいちいち気にかけて走る。確かに疲れたが、3度目となる車での東京往復。幾つか見慣れた景色や看板やサービスエリアがあって、最初の緊張感とは雲泥の差だった。


そういえば、最初に東京へ車で行ったのは3月13日。震災から2日明けて、不穏な原発の状況やライフラインの復旧状況が見えないという状態から、妻と子どもたちの東京疎開を決めたのだった。あの時は高速道路が一般車両進入禁止になっていたから、ずっと4号線を下った。幼い子どもたちには酷な長時間のドライブ。疲れの極地にあった僕と妻を勇気づけてくれたのは、昔住んでいたマンションで仲良しになったFさん一家との電話や、ラジオから流れる仮面ライダーオーズのテーマソングだった。
そして何より心に残っているのは、妻と子どもたちを置いて宮城白石に戻る車中の記憶だ。


とにかく怖くて、心細かった。宮城県沿岸部の悲惨な状況はまだまだ全く情報が入っていない状況だったし、地元に残っている両親や友人とは一向に連絡を取る術が無かったし、福島原発はとにかく予断を許さない状況で、ひょっとすると宮城に戻るのは危険極まりない暴挙なんじゃないかと不安に思ったりした。ひたすら好きな音楽を聞いて、ひたすら歌っていた。そうでもしないと、そのまま東京へUターンしてしまいそうだったからだ。それでも、行かなくてはいけない、僕にやるべきことは北に残っていると自分を奮い立たせるのに精一杯だった。
そんな中、白石に電力が復旧したとの一報が入ったり、昔勤めていた会社の同僚が話し相手になってくれたり、大切な人の無事を聞いて号泣したりしながら、何とか15日の未明に白石に到着したのだった。


今回の東京旅行の帰り道、ふとオーディオに入れたアジカンのCDは、一人で白石に戻るときにずっと聴いていた「君繋ファイブエム」というアルバムだった。
助手席の息子は健やかな寝息を立てていた。後ろの席でずっと下の子の相手をしてくれている妻に話しかける。
「ねえ、このアルバム聴いてるとさ、震災のときがフラッシュバックする」
返事はなく、妻は眠っていた。


健やかに寝る3人と一緒に、この暗くなってきた寂しい道路を走れる幸せよ。今のこの瞬間を、このアルバムと共に記憶に残したい、そう思い、次々とフラッシュバックする震災の記憶と付き合い続けた。
「これでいい」
そう一人つぶやいて、ハンドルを強く握った。