Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

息子のサンデーライフ

子どもが生まれてからずっと、土日祝日は「いかに子どもと過ごすか」がテーマになる。もっとも、子どもが生まれる前は「いかに妻と過ごすか」だったし、結婚する前は「いかに彼女と過ごすか」だったし、それ以前は「いかに一人で過ごすか」だったわけだ。ところが、子どもができるとそれが一変する。一人はもちろん、彼女も妻も大人であって、普通に考えれば、どう過ごすかはお互いの希望を満たすべく話しあって決めることができるわけだ。それが全く通じない相手であり、かつ全ての責任が完全に自分にある存在、それが子どもである。


特に、妻が不在なときは前日や前々日あたりから計画を練ることになる。子連れでいける、子どもが楽しく、親も楽しめる場所。あるいは子どもも親も楽しめる遊び。それを毎週のように考えなければならない。更に、買い物やら区役所やら用事があったり、子どもか親の体調不良などが重なると大きな制約が発生する。それらを満たしつつ、子どもを満足させるような過ごし方を考えなければならないのだ。


今日もそんな日だった。僕なりにあれこれ考え、妻含め何人かの方にもご迷惑をかけながら、なんとかこう過ごせばいいんじゃないかという計画を練っていた。


しかし、息子は少しだけ僕の考えとは違う行動を見せた。彼は、やることが無いなら無いなりに、周囲のものから楽しめることを見つけ出して遊んでいた。僕の父と将棋番組を見ながらあれこれ話をし、僕と一緒におそらく1年以上やっていなかった【闘いごっこ】をやった。それらは、少なくとも僕が予定していた過ごし方計画には無い行動だった。


あ、こうして子どもは少しずつ自分なりの過ごし方を覚えていくんだな。そう思った。


4月から小学1年生。「いよいよ」と「ようやく」と「いつの間に」が交錯する、何とも不思議な気分だ。でもきっと、学年とか年齢とかではなくて、こうした何気ない日常で感じる成長の方が、より心にグッとくる瞬間のような気がする。