Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

されど悲しきグラデュエーション



本日は息子が通う幼稚園のPTA役員会があり、卒園前のPTA活動について話し合った。3月は毎週末何かしらの活動があって、慌ただしい日々になりそう。これまでサボっていた分のツケが回ってきたね。頑張らないと。
しかも、僕は次年度も引き続きPTA役員を仰せつかることになりそうな気配だ。実は息子は卒園なのに、である。娘が幼稚園併設の保育園に通っているからまあOKということなのだが、さすが私立の幼稚園だけあって、保育園と幼稚園を統合するカタチで、5年から6年間にかけての長い保育を考えるという方針なのだそうだ。国が掲げる「こども園」のスタートよりもずっと早い。その最先端の保育環境で、子どもの面倒を見てもらいつつ、その分PTA役員として貢献できるのなら何とも幸せなことだ。


大学時代の親友から言われてしまった。「PTAだなんて、大学時代からは考えられないね」
全くその通りだ。20歳の僕から見たら、今の僕はなんてつまらないくだらない人生なんだと感じることだろう。


こうして息子の卒園に関するあれやこれやを話しあったり、あるいはそんな自分を客観的に見て感慨深く感じていたりすると、ようやく息子が人生においてまた一つの区切りを迎えることを実感するのだった。
僕らは区切りを境に出会いと別れを繰り返し、またある生活の終焉はまた新しい生活の幕開けを意味する。そんなことは分かりきるぐらい分かっていて、親しい人と別れることの寂しさや悲しさ、そして新しい環境への不安や期待なんて何度も味わっているはずなのに、全然慣れている様子がない。きっと、懸命に今を生きればこそ、それまで疎遠だったヒトが仲間になり、友人になり、パートナーとなる。そして、それだけに別れが苦しく、そしてそれを乗り越えるからこそ、また前へ進めるのだ。


20歳の僕にも言ってやりたい。
「つまらない、くだらない人生だと感じるだろ。それでいいよ。今キミが楽しいのならそれでいいじゃないか」
きっと、50歳の僕からも、今の僕はそう言われるのではないか。想像して、つい笑ってしまう。