Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

備えるべきファクター

今朝はスゴイ雪だったのに、日中の風はヌルく、マフラーを外しても全く寒くないほどだった。去年の3月11日は雪も降っていたし、今日よりはずっと寒かったと思う。この暖かさはきっと一時的なものなのだろう。3月に入っても、まだまだ寒い日が続くに違いない。


地震について最近再び様々な方と話す機会が増えてきた。もちろん1年が経過しようとしていて、色々な意味で新しいスタートを切るという区切りだからだ。そんな中、興味深いと思った考察は「もし3/11 14:46では無かったら」という点だ。
もし、真夜中に発生していたら。阪神大震災のように早朝に発生していたら。
あるいは、もっと寒い真冬に発生していたら。逆に真夏に発生していたら。


そうやって発生した時期と時刻とに「もしも」を加えて条件を変えてみるだけで、僕らが経験から学んだはずのことが、全く役に立たない場合もあるんだと気づいてしまう。『避難』を考える場合、既に外へ出られるような服装であることを前提にしてはいないか。『食料や飲料の保管』を考える場合、温度が低い時期を想定してはいないか。雪ではなく雨だったら?旅行先だったら?子どもが風邪で寝込んでいたら?僕らが学んだことは、わずかにあの3/11 14:46に発生した地震に関する経験だけであり、それはもう二度と再現はされない条件なのだ。
ある人は言う。「想定外のことも考えておかないと」と。しかし、想定外を無くすというのは、そうしたあらゆる「もしも」を踏み固める作業であって、気の遠くなるような、無限に近い果てしない作業なのだ。それはどれだけコストを掛けても成し遂げることは不可能だ。


今のところ僕は、あらゆる「もしも」の中の最大公約数を確保することしかできないと考えている。すなわち、どんな時間帯に発生しても避難できるような持ち出しグッズの準備と訓練、それからどんな季節でも安全に摂取できる飲食物の保管、そして今自分がどのような状況にあるかを把握できる情報網の確立だ。それすら、とても難しい、困難なチャレンジであることは疑いの余地が無い。
そして、もう一つ備えておくべき大切なファクターがある。それは、信頼できる仲間だ。「人は一人では生きていけない」とかいう教科書的な理由よりも、「信頼できる仲間となら、いつも以上のパワーが出せる」というメリットの方がとても重要だと思う。


もうすぐ1年。もしかすると、信頼できる仲間という点においては、僕らはずっと強くなれたのかも知れない。