Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

僕なりの批判スタイル

そう言えば、昔から「無責任」が大嫌いだった。


学校で自習の時間になると、クラスメイトは隣の席の友達とおしゃべりをしたり、時には席を立って歩いたりしていた。僕はそういう行動が大嫌いで、先生から課題が与えられていればそれをジッとやって、課題が無ければ予習か復習をしていた。その姿を見られて、「わー、谷津は真面目だなあ」と言われた。僕はそんな友人をそっと見つめて、何も言わず机に向かった。僕は別に真面目なんかじゃない。授業についていけず定期試験前に慌てて勉強する方がよっぽど非効率だと思っていたし、家に帰ったら課題なんかせずにテレビを観たりゲームをして遊びたかった。今遊ぶよりも、家に帰って遊んだ方がずっと楽しかったからだ。そう、自習の時間に遊ぶのが別に悪いことじゃない。その代わり、その分の勉強時間を後で確保しなければ成績が落ちるというリスクをきちんと覚悟すべきなのだ。
部活動の練習メニューを決めてみんなに話す。すると、一部のメンバーは明らかに不満そうな表情をし、僕に聞こえるようにわざと批判的な言葉を言った。僕は心を痛めながらも毅然としてそのメンバーに「じゃあ何しようか?」と尋ねると、彼は「それはアンタが決めることじゃないのか」と笑った。僕は確かに未熟でその練習メニューが良いものだとは決して言えなかったし、彼らを引っ張れるだけのリーダーシップも欠如していた。でも、批判するのなら対案が無くてはタダの文句に過ぎない。じゃあどうするのか?自分ならどう行動するのか?それが無ければ無責任だ。


就職してもその性格は変わらなくて、僕は上司やライバル会社を批判する同僚や先輩に対してあまり良い感情は持てなかった。もちろん僕にも上司がいたし、当然ながら100%完璧な人間なんて存在しないわけで、上司にも不足している点はたくさん見えた。僕は、僕にできることは最大限やろうと決めた。忘れていたり抜けていたりした仕事は、僕ができる範囲まで手を出した。「◯◯さん、今度の打ち合わせの日程調整、まだですよね。候補日をいくつか挙げて会議室も仮予約しておきました。先方に出すメールの文例を作って◯◯さんにメールしておいたので、お手数ですが◯◯さんの名前でメールだけ出しておいてください。そしたら僕が電話しておきますので」といった具合に。「◯◯さん!打ち合わせの日程調整できてるんですか!?」と批判することよりも、よっぽど建設的でスピーディーで効率的だ。(そうした姿勢での行動が十分にできたとは言えないかも知れないけれど)


誰かの責任にして自分が責任逃れをしても、何も変わらない。むしろ自分が責任の一端を担っていると自覚し、できる範囲で改善しようと試みるべきだ。それは、具体的な対案を出すことが最低限必要な行動である。僕はそう考えている。