Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

理解せよテクノロジー

昨日、PTA関係の研修会に出席してきた。仙南の私立幼稚園連合が主催する、放射線健康被害に関する研修会だった。仙台の病院で放射線を扱っている専門の先生が講師で、パワーポイントを使いながら丁寧な説明をしてくれた。


内容は、正確にメモを取る余裕が無かったこともあるし、今回の主旨ではないためここでは省くけれど、とにかく感心させられたのは専門家としての誠実な、律儀な姿勢だった。その基本的な姿勢と講演の目的は「正確な情報を伝える」というとてもシンプルなものである。
しかし、放射線とその健康被害について正確な情報を伝えるためには、まずは「放射線とは何か」から入らざるを得ない。放射線の種類、放射性物質半減期、自然放射線外部被曝内部被曝、そういった基本的なことから入り、徐々にその健康への影響や暫定基準、しきい値なし直線化仮定の役割、と話が繋がってくる。あくまで客観的に、実際に調査され公開されているデータや、放射線医学における考え方などを淡々と説明する。僕には、そこに個人的な作為は感じられなかった。
『ちょっと面倒ですけどね、聴いてください』とはにかむ姿は、研究者としての一途さを感じたし、『正確な情報に対して、どう感じるかは個人それぞれなんです』という姿勢には誠実さを、『基準値を厳しくするよりもこうした「正確な情報」を啓蒙することが何より大切だと思う』という言葉には、間違った思い込みなどが横行する現状への危機感を感じた。


全くその通りだと思う。正確な情報を手にした上で、それでもリスクを減らしたいと感じるか、その程度なら大丈夫だと感じるかはそれぞれに任せて良い。間違った情報に踊らされてしまうことが今の問題なのだ。
ところが、先生がおっしゃっていたように、『ちょっと面倒』なのだと思う。α線中性子と陽子で、β線は電子で、とかスンナリ理解できる人がどの程度いるだろう。ミリとマイクロの単位変換、Bq/kgとBq/cm2の違いとか、頭が痛くなってしまう人が多いのだろうと思う。


前々から感じていたことだけれど、これだけ原子力に依存する日本において、これまで理系、特に物理学は軽視され過ぎていたのだと思う。数学なんて実際には使わない、物理なんて意味がない、そんな風に言う友人たちを何度見てきたことか。当時の僕は反論できなかった。でも今なら言える。高度な技術によって生活が支えられている今、僕らはそれらのテクノロジーを無視して生きることはもはや不可能なのだ。小さいころから、そうした技術に対する理解を育まなければならない。そして、現在の技術を更に一歩進めることができる科学者・技術者を一人でも多く育てるべきなのだ。


福島原発の事故は、日本の教育業界にも大きな課題をぶつけたのではないだろうか。