Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

あの日から続くランナウェイ

実は、あれから1年が経とうとしているのに、僕はまだ触れられずにいる。写真、映像、書籍、特番、そして被災地そのものに。
明日、河北新報社をモデルにしたドラマが放送されるのだが、正直観ずにすむなら観たくないような気もしている。原作となった書籍もまともに読めていない。ページをめくることが怖い。他にも数々の書籍が出版された。写真集、映像集、実話をまとめたもの。数々の特番が放送された。津波原発、様々な人々の姿。
それらに、僕はほとんど手をつけていない。


被災地にも行けていない。父が慰問するときの運転手を務めたときと、被災地に支援物資を届けるとき、そして泥かきボランティアのとき以外、被災地をこの目で見てもいない。どうしても見なければいけないときは、心にシールドをかけ、ただの景色として見た。その後被災地を離れたときに、ずっと歯を食いしばっていたことに気づいたものだった。
新聞記事も同じだ。毎日目を通す前に、僕の中にある柔らかいモノを扉の奥に閉じ込める。そして単なる情報として震災に関連する記事を飲み込む。そのモノに触れないよう、気をつけて記憶の中に押しとどめる。


昨年夏、もし腰痛にならなかったら、もう何度かは泥かきボランティアに行っていたはずだ。口先だけであれこれ言う前に、ひと掻きでも泥を掻いた方が少なくとも復興を前にすすめることになると思っていたからだ。でも今になって思う。腰痛にならなかったら、やっぱり腰痛になるまでやっていただろうと。そうでもしないと気が済まないのだ。僕にできることを今やらなければいけない。目の前にある仕事に目をつぶり、被災地を救うために何ができるかを必死で考えていたのだと思う。


僕が逃げているのは、もちろん弱いからだ。観てしまえば、見てしまえば、読んでしまえば、きっとすぐに感情移入してしまう。僕が何も貢献できていないことを不甲斐なく感じ、今僕の目の前にある“震災前と同じ仕事”に無常感を覚えてしまう。それが怖いのだ。


情けないと笑う人もいるかも知れない。実際の現場を見ずに何が言えるんだと思う人もいるかも知れない。それはその通りだと思う。しかし、僕が僕らしく僕のやるべきことをこなすためには、それらの情報をシャットアウトするしか方法が無かったことをここに記しておきたい。
1年が経つ。人間の感情の区切りが、暦と同じリズムであれば良かったのに。


僕はまだ逃げ続けている。