Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

恐怖リメンバー

ここ2日ほど、夜中に娘が泣く。しかも結構な大泣きをする。妻があやしてもなかなか収まらず、僕が抱っこしたり僕のベッドに来てみたり、散々親に甘えたあげく疲れ果てたように眠りにつく。日中はそういった泣き方をあまりしないこともあり、娘にとって何か特別な事情があるのではないかと推測してしまう。


僕が考える"娘の事情"の一つは、地震への恐怖だ。最近余震がまた活発になってきている。つい昨日も(一昨日か)大きい余震があった。少しずつものを分かりはじめた娘が、去年体で味わった地震を思い出し、改めて恐怖を感じているのではないか。「怖い」という感情を理解した娘が、最近の余震をきっかけとして1年という時間を遡り、恐怖を感じているのではないか。
実際、僕も最近の余震に怖さを感じる。それは、揺れそのものよりも、1年前のあの地震の記憶が呼び覚まされるからだろうと思う。きっと娘も同じような感覚ではないだろうか。


高所恐怖症の僕がずっと前から思っていたことだけれど、恐怖というのは想像力の産物なのだ。あそこに何か得体のしれないものがあるかも知れない、もしここから落ちたらどうしよう、そういった想像力が怖さを生み出すのだ。怖さを克服することは、ある意味で忘却を伴う。いつか怖く無くなるとき、それは地震を忘れるときだ。
だから、今は怖さに耐える必要がある。去年の地震を教訓として来るべき災害に備えるには、地震を忘れることはまだまだ早いからだ。