Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

ジワジワと来るペアレンツ・フィーリング


息子が小学校に入って、ジワジワと親であることの実感が湧いてくる。今までは実感してなかったのかい!とのツッコミもありそうだが、どうも「小学生の親」というものは、それまでの「未就学児の親」とは少し違うのだった。
それは、つまりは自分の記憶に依存しているのだと思う。小学校入学前の記憶というのはとても曖昧だ。もちろん幼かったということもあるけれど、やはり時間割に沿って授業があり、年単位で行事が決まっている生活というのは記憶にある程度の基準を持たせてくれる。思春期に入る前のあどけなさが残る時代の記憶の中に、僕なりの親像というものがある。自分の親と、友達の親、テレビドラマに出てくる親。今の僕が話すことや考えること、息子に対しての態度などに、そういった様々な親像を感じることがある。それが改めて自分が親になったことを実感させる。


子どもたちが中学校に入れば、また違った感覚に違いない。


息子は僕とは違う。だから、息子から僕がどんな風に見えているのかは分からない。同じように、僕は僕の親とも違う。だから、僕の親がどんな風に僕を見ていたのかも分からない。何が理想で、何が正しいのかも分からない。
ただ、自分があるべき姿であることを時々息子からの視点になって確認してみることだけは、欠かさずにやっておこうと思っている。