Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

制限と発想とルールと感情が織りなすワールド


去年から始めたブログの更新ペースが落ちてきた。意識して落としたわけではなく、実際の生活の中で時間的な余裕や書きたいことが思いつくという精神的な状態に合わせて、無理に更新しないという方針に従っているからだ。量も同様で、数行で終わることもあれば、ダラダラと長く書くこともある。これも特に自分に制限を持たせず、自由に書きたいところまで書くことにしたのだった。


制限とかルールという縛りがある。僕らは毎日何時までに出勤し、信号が変わるのを待ち、エレベーターに乗ったら「開」を押し続けたりする。社会的な生活を送る以上、守らなければならないルールやマナーがあり、僕らはそれに従わなければならない。
一方で、そうしたルールは僕らの自由な発想を制限し、感情を冷たい金属で覆ってしまう。僕らは、会社に遅刻することを覚悟で道に迷う人を案内したり、赤信号を無視して犬を車から守ったり、酔っぱらいに絡まれつつある女性がエレベーターに乗った隙に「閉」を押して女性を助けたりすることに、惜しみない拍手を送る。制限やルールを超えた発想や感情に、僕らは憧れるのだ。


ブログ更新のルールを開放することが、果たしてその発想や感情の抑揚に一役買っているかというとそうとは限らないと思う。
でも、「○○しなければならない」よりも、「○○したいな」の方が楽しいに決まってる。誰かに命じられているわけじゃない。僕が自分でこうしたいと思うからこそ、この世界はこうして回っているわけだから。