Hang In There

蔵王の麓で新聞屋さんが子どものこととか震災のこととか思い出などを綴ります

歩け歩けアリアハン

白石に帰ってきてもうすぐ4年。「その間、お前は何をやってきたのだ!」とか問われると、ちょっと回答に窮してしまう。いや、何もやってきてないというわけではないけれど、きっと期待外れだった人もいると思うのだ。もうちょっとやれたんじゃないの?とか、あるいは全然基本がなってないじゃん!とか。


そういった期待も分からないではないし、自分でももう少しやれたのかなあなどとボンヤリ考えたりもするけれど、でもやっぱりこの4年間とそして今も、これが僕のペース。なかなか思い切りはできない。


思ってみればこれはロールプレイングゲームの進め方とよく似ていると思う。僕は、ファミコン世代以降の平均的な日本人がそうであるようにロールプレイングゲームが大好きで、初代プレイステーションあたりまでの名作はひと通りプレイしてきた。多分、和製ロールプレイングゲームが最も魅力的で面白かった時代だ。運が良かった。
ロールプレイングゲームの進め方は、その人間性がよく現れるらしい。僕の場合、主人公が与えられるミッションに対し、十分な準備をすることに楽しみを感じるタイプだった。典型的な日本人の本当の典型例かも知れない。
ミッションは往々にして長い長いダンジョンの攻略とそれに伴う雑魚敵との戦い、そして中ボスとのバトルをクリアすることを要請される。そしてミッションの前には買い物ができ体力を回復できる街があり、準備を整えてミッションに挑みなさいと促されているのだ。
僕は、ダンジョンの奥に待っている中ボスとのバトルにほぼ無傷状態で挑めるように準備するタイプだった。周辺で雑魚キャラとのバトルを繰り返し費用を貯めてその時点での最強の武器防具を揃える。また雑魚との戦いで削られた体力を回復するアイテムを可能な限り買い集める。そうして費用を目的としながら、同時に経験値を得てレベルアップを見込むのである。ダンジョンの途中までチャレンジして敵の傾向を見たり、中ボスの情報を集めたりしながら、あれやこれやと準備をすすめる。その過程が何よりも楽しいのである。
結果、あっさりとダンジョンをクリアし中ボスを軽く撃破してしまうこともある。そうやって自分の準備が成功するとなんとも言えない達成感に包まれた。単にミッションをクリアするだけじゃなく、どれだけ準備が役にたったかに喜びを感じるのだった。


今、この4年間の自分を振り返ってみて、また今の自分を客観視してみて、改めてその傾向が変わっていないことに気づく。僕は大きく飛躍してミッションをクリアすることを目的としながらも、そこにどんな準備をして臨むかに大きな興味があり、それは雑魚キャラを倒すが如く日々のちょっとした積み重ねによって得られることを何となく感じているのだった。
もう34歳だし、もしかするともう少し焦った方がいいのかも知れない。準備し過ぎてあっさりミッションをクリアしてしまうのは、実は準備の時間が無駄だったという見方もあるかも知れない。


まあいずれにせよ、僕の頭の中にはアリアハン周辺を歩く主人公パーティのイメージと、そのミュージックが流れている。